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Outside

Something is better than nothing.

『切断のための断片』公開

告知
切断のための断片

切断のための断片

 

公開

 Kindle版で2014年に作成した作品集『切断のための断片』を公開しました。

 Kindle Unlimitedでも読めます。

 小説などを作品集としてまとめる形態で、執筆をずっと行っていますが、その中で十二番目にできたものになります。今のところ、最新作でもあります。 

収録作品

時間風
Days gone by
予言
Blood
ノア
Decay

 コメント

『切断のための断片』の制作

 前作『機械』を作成後、『Thought』という評論集をまとめましたが、うまく小説が書けない時期が続いた。

 この中でいちばん早く書いた作品は「Days gone by」で、その後に「ノア」、「予言」と続く。この3作品については学生時代に書いたもので、社会人になってから「時間風」「Blood」「Decay」という順番で書いた。

 執筆的には非常に苦しい時期で、何を書いても手応えがない時期が続いた。『機械』が一人称をテーマにして書いた作品集ではあるのだが、その中でかなり自分の中にあるものに接近できたように感じられたが、そのテーマをひとまずは書いたあと、うまく小説を書くモチベーションを保つことができなかったのである。

「ノア」がこの作品集の中ではもっとも長い小説になるのだが、この小説を書いたことが一つ大きな意味で作品集を作るモチベーションにはなっている。また社会人になって書いた「時間風」は、その後の社会人生活の中で今も自分の中にあるテーマの萌芽を感じられた。

 以下は、個別の作品についてのコメントを書いていく。

時間風

 この作品は先ほども述べたように社会人になって書いた小説である。ペソアの『新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)』を読んだときに、「決して行われなかった旅」というものがあり、また世界の果てへの言及もあった。後者の世界の果てというものは、安部公房の『壁 (新潮文庫)』に繋がる。自分なりに現時点でのこれらのテーマを書こうと思ったのと同時に、ボルヘス的なものとかつて書いた「逃げる男」というキャラクターを作品内に登場させたかった思いもあった。結果的にできあがったものは、個人的には社会人以降に書いたものの中ではいちばん気に入っている。

Days gone by

  出身大学は明治大学なのだが、この大学図書館に対する貢献の一つに、私は後藤明生の『挾み撃ち (講談社文芸文庫)』の導入を挙げることができる。もちろん傍目にはたかだか本一冊のこと、と思われる向きもあるかもしれないのだが、個人的にはこの後藤明生の『挟み撃ち』は本当に傑作だと思う。小説書きとしてのゴーゴリの系譜に連なる作品だと思うのだが、自分なりにこの系譜に連なりたいと思って書こうとしたのがこの作品である。私はここでmixiの思い出を、外套の代わりに導入した。

予言

 言語というものは言語SFという取り扱い方もあり、例えば伊藤計劃の『虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)』などはその範疇に留まりきらない大きさも伴っているのだが、けれども言語は同時に魔術的な要素を備えた、言わば科学以前の代物ではある。言語は世界の表象であり、その操作は世界そのものを本当に変えることができるのだ、というものを書きたかったのだが、やや筆力不足が否めない。

Blood

 社会人になってから小説を書こうと思って、意識的に書いた作品。シーン(情景)がまず頭の中にあり、そのシーンを展開させるような形で書いていった。一つだけ工夫して書いたところ、というより一人称についてやはり考え続けていたので、そうなったところがある。

ノア

 金井美恵子の『文章教室 (河出文庫―文芸コレクション)』は傑作だが、この文体が特に私は好きだ。これをどうにか真似ようとして、けれども金井美恵子のように文章が巧くない私は、なんとか一生懸命にそれらしきものを書こうと試みる。横光利一の『機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)』などもそうなのだが、一文が非常に長い作品を書こうとするときに、自分自身の頭のメモリの限界を知る。単に文章だけならまだしも、そこに小説としての何かを付随させようとするときには音楽性、リズムが必要になってくる。この小説は三人称で書いたものだが、一人称の「私」というものが生み出せる自我のリズムとは違い、三人称で書くときの文章のリズムは、少なくとも私にとってはこういった一文を長くすることで生じる「うねり」のようなものが必要だったのではないか、と今になっては思う。

Decay

 やや手癖で書いた感もあるのだが、けれども社会人になってからというもの、手癖すら消失してしまったので、この小説が書けたことは嬉しかった。恋愛小説における一人称の典型、というものを活用した気もするし、同時に「顔」の消失についての小説でもある。のっぺらぼう、化粧をきっかけにする、単に言葉のイメージ的なものは中上健次の『化粧 (講談社文芸文庫)』があるんだろうなあとは思う。