Outside

Something is better than nothing.

『JUNK HEAD』(2021年)

 堀貴秀の『JUNK HEAD』を観る。

 人類がほとんど不死になった代わりに、生殖機能を失い、新種のウイルスによって絶滅に危機に瀕した人類はかつて自らが創り出した人工生命体マリガンに希望を寄せることになる。そこでパートンは地上の生活を一区切りつけて、未知なる地下世界に下り立つという任務に志願することになるのだが、降下中に爆撃されて身体を失う。そこへアレクサンドル、フランシス、ジュリアンという三兄弟に拾われて博士の元で再生することになるのだが、記憶がない。そこから彼の謎めいた冒険が始まり、記憶を取り戻したのも束の間、マリガンに襲撃されてさらに下層に落ちる。その下層でもさらに改造されて声を失い、クノコというキノコ状の食物を得る旅に行く最中でニコという少女に出会う。その後、凶暴なマリガンによって村が襲撃され、三兄弟がやってくるものの、パートンは神さま級の存在であることが明らかにされて、その後、博士に改造された体を取り戻すことになる。記憶を戻した彼は、マリガンの成る生命の木を求めて旅することになり、そこで激闘の末に三兄弟のうち二人を失い、先に進んでいくことになる。

 ストップモーション・アニメとして撮られた執念の映画ということができるだろう。何かのテレビ番組で監督がこの映画を作るまでといった特集を見た記憶があったのだが、ストップモーションという選択をなぜ選んだのか、と他人からしてみると不思議でしかないが、この造形性と雰囲気の一級品ぷりをまざまざと見せつけられると、この執念も不思議ではない。

 クリーチャーの異様なフォルム、そして地下世界の価値観、機械の有機性といったものが(さまざまな先行作品を吸収した上での)独自性があり、観ていて唸る。これは紛れもなく映画であるし、紛れもなく優れた映画の一つであろう。

 惜しむらくはこの映画の物語が途中であるということに尽きるわけだが、三部作の一つであるらしいので続編が楽しみでもある。

 ただ、この身体破壊とクリーチャーの凶暴さというのは何か意図があるのだろうか、と思わなくもない。主人公として動くことになるパートンは何度も体を破壊され、その度に再生することになるのだが、この再生性のようなものが「不死」というものを色濃く感じさせるものであるとともに、マリガンの死は何度も訪れることになる。タイトルの通り、ジャンクなヘッドであることも多い。