Outside

Something is better than nothing.

ネクタイの長さ

necktie

 思い返すと社会人生活を送るまで、私はネクタイを日常的に締める習慣がなかった。中高生は学ラン――始めて知ったのだが、学ランというのは学生が着るランダ(洋服)という意味から来ているらしい――で、ネクタイを締めることはなかった。だから就職活動を行う過程でネクタイを締めるようになったのだが、締め始めた当初は長さに困った。どうしても、大剣と小剣のバランスがうまく取れなかったのである。私はいわゆるダブルノットという結び方がもっともしっくり来る結び方であったので、それを覚えて以来、もう無意識でも締められるようになってきたのだが、それでも慣れるまでの間は困ることが多かった。

 先日、ようやく冬を感じられるようになって、ネクタイでも新調するかと思って新しいネクタイを購入した。で、新しいネクタイを無意識で締めて仕事に出かけて、トイレに行ったときに鏡を見て驚いた。微妙にいつものしっくり来る長さではなかった、のである。大剣と小剣のバランスが少し違うような気がして、大剣側の長さが異様に長いように感じられた。

 しかしながら、ちょっと見ではそのバランス感覚の崩壊は分からない。いちいち外して締め直すのもなんだか面倒臭いようにも思えて、その日はそのまま仕事をした。居心地の悪さは続いて、それは家に帰るまで続いた。やはり、締め直せばよかったと後悔もした。

 少し話は変わるが私は制服が嫌いではなくて、仕事中もできる限りビジネスパーソン上の制服、であるところのスーツでいたいと思っている。私服である自分というのは、本質的な意味でプライベートな瞬間であると思っている。そのため、仕事で知り合った人と私服で会うことにかなり躊躇いがある。それは私服で会うことで、自分のプライベートな部分についても披露しなければならないと感じられるからであろう。会おうと思えば会えるけれども、積極的に会いたいとは思わないのは、そういった理由があるからだと思われる。