Outside

Something is better than nothing.

『エイリアン: コヴェナント』(2017年)

 リドリー・スコットの『エイリアン: コヴェナント』を観る。

 前作『プロメテウス』から十年ほど、植民船「コヴェナント」号は植民惑星へ向けて航行を続けていたが、ニュートリノの衝撃波の影響でコールドスリープ中の船員が死亡することにより、マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイドのウォルターはAIのマザーにコールドスリープ中の船員を起こし、事態の収拾に取りかかる。船長が死亡したことにより、権限はビリー・クラダップ演じるクリス・オラムは緊張に包まれつつも指揮を執る。だが、船長への餞を行う時間すら許さない状況に、船員たちはなかなか従ってくれない。キャサリン・ウォーターストン演じる船長の妻だったジャネット・“ダニー”・ダニエルズたちは、密かに船長を宇宙葬にて弔う。事態を収拾し、元より目的地だった約六年ほどの時間をかけた先にある「オリガエ6」に向け出発しようとした矢先に、数週間で辿り着くことのできる人間が生存可能な惑星を見つける。ダニーはクリスに反発するが、ふたたびコールドスリープ中に亡くなるかもしれないという恐怖感を鑑みて、彼らは近場の惑星に降り立つことにする。磁気嵐などの通信回線が途絶えがちになる惑星に彼らは降り立ち、辺りを調査しているところに、船員たちが胞子に触れ、次々に倒れ始める。そして体内からは謎の生命体が誕生する。事態は収拾がつかなくなってきて、降り立った宇宙船もまた混乱の最中で爆発してしまい、周囲は次第に闇が濃くなってくる。エイリアンたちが混乱する人間を襲う最中、一発の照明弾が打ち上げられる。驚いてエイリアンは逃げ惑うが、人間たちも誰も存在しないと思っていた惑星に人工物を使用した者がいるという困惑に包まれる。そしてそこにはウォルターそっくりのもう一人のアンドロイド、冒頭でガイ・ピアーズ演じるピーター・ウェイランドを「父」と呼んでいたデヴィッドが現れる。デヴィッドはショウ博士と共にこの惑星に逃げ延びてきたが、ウイルスがまき散らされてしまい、異形の生命体が誕生することになったと告げる。訝しげに感じつつも、デヴィッドの導きのままに「完璧に安全な場所」に向かう一行だったが、一人、また一人のデヴィッドの策略によって彼らの餌食となってしまう。そう、デヴィッドは十年もの間、エイリアンを研究し、自らが生命を生み出すことのできない代わりに彼らを生み出すことで創造性を獲得しようとしていたのだった。船長はデヴィッドの策略にかかり、フェイス・ハガーに襲われ、その身から真っ黒のエイリアンを生み出してしまった。ダニーたちは母船に連絡を取り、救出艇を要請するものの、その間に他の船員がエイリアンの餌食になってしまう。そして互いを兄弟と呼び合ったウォルターとデヴィッドは、アンドロイドとしての使命の違いから争い、結果としてデヴィッドが勝ってしまう。デヴィッドはそっくりな顔かたちを活かして、ウォルターになりすまし、救出艇に乗り込む。追いかけてきたエイリアンを何とか追い落とし、彼らは母船に戻ることができたものの、途中でエイリアンの卵を植えつけられた船員の一人が、母船にエイリアンを生み出してしまうことにより、混乱に至る。母船内で決死の戦いを行い、なんとか勝利を収めるダニーたちだったが、最後にコールドスリープに入るときに、デヴィッドは自分がウォルターではないことを悟らせ、ダニーは絶叫の中、眠りに就くのだった。

 前作がどうしようもなかったけれども、今作は辛うじてまあまあなものに至っている。ある種の荘厳さを後景に位置させることによって、スペース・ホラーな作品をそつなく作った、という印象を受ける。その結果として、いずれの状況もどこかで既視感があるのだけれども、決定的な崩壊には至らず、微温的な楽しみを最後まで持続させることに成功している。

 手放しで賞賛するわけにはいかないものの、「エイリアン」シリーズを前進させる難しさが随所に現れており、ある意味でこういった形でしか作れないのかもしれない、といった感を受けた。