Outside

Something is better than nothing.

『ファミリービジネス』(1989年)

ファミリービジネス [DVD]

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 シドニー・ルメットの『ファミリービジネス』を観る。

 マシュー・ブロデリック演じるアダム・マクマレンは、ダスティン・ホフマン演じる父であるヴィトーよりも、ショーン・コネリー演じるジェシーにより父性を感じている。実はこのマクマレン一族は泥棒稼業で生計を立てていたこともあり、祖父ジェシーはゆえにその犯罪歴を自慢しており、老年になってもその自慢を忘れない。それを苦々しく思っているのがアダムの父であるヴィトーになるのだが、彼も彼でかつてはジェシーに協力していた過去があり、アダムが生まれてから足を洗い、精肉会社を経営し、スリルからは足を洗っていた。しかしながら、血がそうさせるのか、あるいはジェシーの魅力なのか、アダムは真面目一辺倒に生きる、一種のエリートとしての人生に嫌気が差し、DNAを研究する企業から研究成果を盗み出すことで多額の金を得る計画をジェシーに持ちかける。計画には三人が必要ということでヴィトーも加わることになり(ヴィトーの思惑はアダムに殺人等を犯させないために)、親子三人で盗みを行うことになる。しかし計画途中でアダムがドジを踏み、警察に捕まってしまってからは、ジェシーとヴィトーの間で、この計画を巡る思惑のズレが生じていき、ヴィトーは自分の父ジェシーを警察に売ることで、息子アダムを助けることに決める。だが、アダムはその選択に反発し、アダムとヴィトーの仲は険悪になってしまう。ジェシージェシーで、アダムの持ち込んだ計画に裏があることを見抜いていた。DNA研究がうまく立ちゆかないことから、世間知らずのアダムに偽の情報を掴ませ、研究成果が盗み出されてしまったことにして研究が遅れていることを隠蔽しようとした研究者の偽情報にアダムは踊らされていたのだ。しかしジェシーは逮捕され、親子三人とも裁判を受けた結果として、ジェシーの責任がもっとも重いとの判決を下され、ジェシーは十五年の懲役を受けてしまう。そしてそれは老年に差しかかったジェシーにとって、終身刑に等しいものだった。収監されたジェシーの元にアダムは足繁く通うのだが、ジェシーはやがて衰えて亡くなってしまう。その葬式の席で、アダムとヴィトーは長らく続いていた対立関係を終え、親子として再出発するのだった。

 非常に安定的な演出とカメラワーク、何度か繰り返される反復、そして何よりもショーン・コネリーの魅力がふんだんに詰まった結果として、一見の価値がある佳作に仕上がっている。割と地味めな話だとは思うのだが、それでも安定して最後まで観ていられるのはひとえに監督の力量がなせる技だろう。意外と扱っている題材の裏側が面白く、DNAが出てきたところは意図されているものとは別に、ちょっとおかしかった。おお、そういう話題で来るのね、と。

 こういう映画は文句なしに素晴らしいと思うのだが、なによりショーン・コネリーの存在感が異様で、この異様さは何なのだろうか、と思う。この俳優の存在については、もちろん007シリーズで知っているのだけれども、しかし私たちの世代からしてみればマイケル・ベイの『ザ・ロック』(1996年)が一番突出して有名なのかもしれない、と思ったりもするのだが、そういった存在感とはまったく違う種類の、なんというのだろうか、野性味を感じさせもする、今の俳優で言えば若い頃のブラッド・ピットに近しいものというべきなのか、そういう種類の魅力なのだろうか。いみじくも作中でアダムが指摘していたように、「あんたは粋すぎる」という台詞が的を射ている。だから、ブラッド・ピットとも違うことになるのだが(彼は明確に野生児だ)、とにかくこれは俳優の勝利だろうとも思うのだ。

 そういった意味で、ダスティン・ホフマンは決して悪くはなかったし、マシュー・ブロデリックも同様ではあるのだが、名優たるショーン・コネリーには及ぶべからずというのがこの作品の肝であり、もちろん作品自体もそう作られている。

 あとジェシーの台詞の中でちょっと興味深かったのは、(記憶違いがあるかもしれないのだが)「合法的な盗みなんて倫理に悖る」といったもので、これはアダムのガールフレンドの不動産売買に際して言っていた台詞だが、この矜恃は私たちの社会が失ってしまった感覚の一つだろうと推察する。