Outside

Something is better than nothing.

『ザ・マミー』(2017年)

 アレックス・カーツマンの『ザ・マミー』を観る。

 トム・クルーズ演じるニック・モートンは米軍に所属しながら、イラクで略奪を働こうとワンナイト相手のアナベル・ウォーリス演じる考古学者ジェニー・ハルジーから地図を盗み出し、現地に赴くも戦闘員が多数いることから、ジェイク・ジョンソン演じる相棒のクリス・ヴェイル共々殺されそうになったところ、火力支援要請によって救われ、さらには探していた宝物を見つけることができる。しかしそれは古代エジプトにおいて、呪われた王女として封印された ソフィア・ブテラ演じるアマネットであり、不用意なことに封印を解いてしまったことにより、ニックはアマネットに「選ばれし者」として執拗に狙われることになる。手始めに移送中の飛行機内で、アマネットの眷属(クモ)に噛まれた相棒クリスが上官を刺し殺し、さらにはニックたちに襲いかかり、カラスは異様な反応をもって飛行機に襲いかかり、飛行機は墜落する。そのときにジェニーを助けたニックは、死を覚悟するのだったが、しかし呪われた所為で彼は無傷で助かる。そして墜落したイギリスの、最近発見された十字軍の墓にある宝玉と、教会に隠されたダガーをセットにして、ニックを突き刺せば死の神セトが蘇るということで、その宿主としてニックは殺されかけるのだった。しかし、危ういところをジェニーが所属する対モンスター組織「プロディジウム」に助けられ、ラッセル・クロウ演じるヘンリー・ジキル博士と出会う。博士は悪を病原菌として捉え、自らのうちに潜む悪の権化としてのハイドを定期的な薬の投与によって抑制させている。助かったかと思われたニックだったが、博士は悪を召喚しようと彼に死を受け入れるように説得されるのだが、もちろん断り、博士の薬の投与を妨げたことによってハイドの人格が表に出てきてしまう。その兇暴なハイドと戦闘している最中、隙を突いたアマレットは「プロディジウム」の連中を操って逃亡する。ジェニーと共にニックもロンドンを逃げ回ることになるのだが、眷属を多数従えたアマレットに追い詰められてしまう。そして宝玉とダガーとを手に入れたアマレットはジェニーを溺死させ、ニックにセトを受け入れるように言う。ニックはアマレットによる死ではなく、自分で自分を突き刺してセトを召喚し、その力をもってしてアマレットをふたたび眠りにつかせ、さらにはジェニーを蘇らせるのだった。かくしてセトととなったニックは、それでも内面に善の要素を持っているらしく、相棒のクリスをも蘇らせ、果てしない旅に出るのだった。

 はっきり言えば駄作である。トム・クルーズでなければ退席したかったくらいに面白くない、言わば大作映画にありがちな大味ということなのだが、昨今のブロックバスター映画は商業性と芸術性を奇妙に融合させることに成功させているものが多い中で、ここまでのスッカスカな味というのは、逆に珍しいように感じられるのだった。

 例によってトム・クルーズが乗る飛行機というのは墜落し、例によって無傷であるというところで、さらには例によってトム・クルーズはクールなガイなわけで、悪いわけではない。悪いわけではないのだけれども、この映画に求められる「ニック」像として、トム・クルーズという人間は、残念ながら恐ろしいくらいに適していないのだ。これがブラッド・ピットロバート・ダウニー・Jrであればまだしも、彼の俳優としてのキャラクター(記号)は、もはや15分間だけの愛を囁けるほどにはいい加減な人間ではなくなってしまっている。そこにはヒーローとしての苦悩と向日性があり、決して「ニック」のようなキャラクターを演じるのには向いていない。

 もちろんこれはどう考えても監督と脚本の悪さである。監督アレックス・カーツマンは『ミッション:インポッシブル3』(2006年)で脚本を担当していたらしいのだが、かつて伊藤計劃が批判した「ラブシーン」の演出の悪さを見事なまでに引き継いでいる。本作ではそれっぽいものを積み上げておけば、それっぽく映るだろうという観客を舐め切った思考の元で映画が作られているため、結果的にとりとめのない映像ばかりになってしまっているではないか。これでは『ハムナプトラ』(1999年)に、映像的にも何ら勝ち得ていない。シーンの意味が、必要性が、根拠が、まったく不足している。

 俳優たちは自らのポテンシャルを遺憾なく発揮し、ラッセル・クロウ演じるジキル博士とハイドは、この映画の中で唯一(というか例外的に)よかった。それはラッセル・クロウの俳優としての力が優れていたというだけである。結果的にジキルの下りがあることで(ダーク・ユニバースシリーズの導入としての映画という要素が邪魔すぎて)、映画としての方向性がかなり鈍ってしまっているのは事実なのだ。

 非常に残念な映画だった。