Outside

Something is better than nothing.

『ファニー・オア・ダイ』(2016年)

 ジェレミー・コナーの『ファニー・オア・ダイ』を観る。副題は「ドナルド・トランプのアメリカを変えちゃう男 ザ・ムービー」。

 ジェレミー・コナー自身が冒頭画面に映り、80年代に作られたある映画のビデオを手に入れたと述べる。それはドナルド・トランプの自伝『アート・オブ・ディール』を忠実に映画化したものであり、この傑作が今初めて人々の目に触れると述べられて、作中作が始まる。かくして映画の中のジョニー・デップ演じるドナルド・トランプは、実にセコい取引の極意を、例によって著しく乏しい語彙で説明し、メキシコ系移民の子役が気に食わなければ変え、日系移民でも気に入らないと結局何度も変えてしまい、皆トランプを翼賛するあまりに馬鹿なことを述べていることにまったく気づいていないまま映画が進む。そして謎のクオリティの主題歌すら流れて終わり、監督自身がそのビデオテープをまったく酷いものだったとゴミ箱に捨てて火をつける。

 基本的には『サウスパーク』のノリだと言って構わないだろう。この作品は明確な良心に基づく風刺となっており、その意味である種の力を持ちうるのかもしれない。ただ、この映画が製作された当時と異なる点は、本当にドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領になってしまった、というところであり、この映画の中にある監督で主に体現されてもいる良心というものは、この映画が考えているよりもはるかに力を持たないものであるのかもしれない、ということだろうと思う。

 この映画の良心は、前述したように謎のクオリティの主題歌、であろうし、あるいはトランプカードによって挿入される謎の格言シーンの非B級っぽさ、でもあろうし、あるいはわざわざ「モンタージュ」と言われて挿入されるモンタージュ(これは明らかに『サウスパーク』のパロディだということだけは分かった)でもあろう。

 ジョニー・デップはかなりいい演技をしているし、この風刺っぷり自体も悪くはないが、現実はすでにその向こう側に行ってしまっている。