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『アサシン クリード』(2016年)

アサシン クリード I+II ウェルカムパック【CEROレーティング「Z」】
 

  ジャスティン・カーゼルの『アサシン クリード』を観る。原作ゲームはクリアこそしていないものの、少しだけ触ったことがある。

 マイケル・ファスベンダー演じるカラム・リンチは幼い頃に父親が母親を殺害するところを見てしまったことも関係したのか、長じてから殺人犯になり死刑判決が出て、死刑が執行される。しかし目を覚ますと、マリオン・コティヤール演じるソフィア・リッキン医師がおり、アニムスという機械を用いて、遺何やらあらゆる暴力を遺伝的に消し去るために、伝子記録に記されている祖先の記憶をトレースして欲しいということで、ジェレミー・アイアンズ演じる彼女の父アランの強行によって有無を言わさず遡行することになる。時はスペインで異端審問が盛んだった時期で、アサシン教団はテンプル騎士団と「果実」を巡る争いをしていた。カラム・リンチの祖先であるアギラール・デ・ネルハはアサシン教団に誓いを立て、アリアーヌ・ラベド演じるマリアとともに王子と「果実」の奪還に動く。しかし、テンプル騎士団の方も黙っているわけではなく壮絶な戦いが起こるのだった。最終的に「果実」はアギラールコロンブスに託したことが分かり、その隠し場所にソフィアたちは赴こうとするものの、過去の記憶を取り戻した被験者たちによる反乱が勃発し、現代でもまた争いが継続してしまう。イギリスで騎士団が「果実」を取り戻したことをアランが演説しているところに教団が襲撃し、ふたたび「果実」はアサシン教団の元に戻るのだった。

 といったどうでもいい話を延々とする映画、が、この作品であるのだが、個人的にはかなりの凡作だろうと思う。

 絵として非常的に魅力的な中世での戦いというのは、アニムスによる諸々の操作によってそのテンポが阻害され、なにぶんゲームをきちんとしていないので少し外しているのかもしれないのだが、まるで「ゲームのロード画面」のように鷲が中世の空を飛んで、当時の状況に話が移る、といったシーンがたしか三回ある。どう考えても無駄である。

 こちらのテンションと映画として目指していた方向性が違う、ということもあるのかもしれないのだが、もう少しアサシンの、アクションスターっぽいところではなく、ソーシャルステルスを駆使して対象を暗殺したり、イーグルダイブで藁に突っ込んだり(二回突っ込むのだが、一度目はぶつ切り、二度目は水中)、巡礼の群れに入り込んでお祈りをするとか、ああいうことを画面に映すべきではなかったのか、と個人的には憤慨している。

 要するに現代編のどうでもいい陰謀めいた話が無用であるわけで、どうしてこれをメインに据えようとしたのか、何かもう少しまともな話にできなかったのか、と疑問で仕方なかった。

 これを観ながらずっと考えていたのは、あれだけ腐されてもいる、同じく人気ゲームの実写化であるところの「バイオハザード」シリーズ、そして監督のトーマス・W・S・アンダーソンというのは、決して面白くない映画(とそれを撮る人)というわけではなく、実は極めて優秀な監督だったのではあるまいか、と思うのだった。

 

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