Outside

Something is better than nothing.

『オデッセイ』(2015年)

  リドリー・スコットの『オデッセイ』を観る。原作は未読。

 マット・デイモン演じるマーク・ワトニーたちは、火星でのミッションを行っていたが、その途中に砂嵐に巻き込まれて、ミッションの中止を決意する。しかし、ロケットに向かう途中に風で飛ばされたアンテナにワトニーはぶつかってしまい吹き飛ばされ、ジェシカ・チャステイン演じる指揮官のメリッサ・ルイスは彼を懸命に探すも砂嵐で視界が悪く、データ上では宇宙服も破れて気圧が低下してしまっているということで、一行はワトニーが死亡したものと考え、地球へと帰還する。だが、アンテナと血液によって宇宙服の破れ目が塞がれており、ワトニーは生きていた。ワトニーは次の火星探査機がやってくる日まで生き延びるため、植物学者である自分のスキルを活かし、火星でジャガイモを育て、生き延びることを決意する。やがてNASAはワトニーが生きていることを確認し、何とか火星にいる彼を救おうと奔走し始めるのだった。

 火星DIY映画といった趣のあるこの映画だが、最近のリドリー・スコットの映画の熱心な視聴者というわけではない私にしてみれば、『プロメテウス』(2012年)の失敗以来、どうもあまり観たいという気持ちが湧かなかったのも事実で、というよりリドリー・スコットとの相性というものはあまりよくはなく、それなりに楽しめることは事実ではあるものの、ある一定の部分でざらつきを覚えてしまう。このざらつきがリドリー・スコットの映画作品にはつきまとっていて、これは個人的な好き嫌いの領域にあるので、映画の出来についてはあまり関係はない。

 そういった意味で、久しぶりにリドリー・スコットの映画を観たわけなのだが、スコット・フリー・プロダクションの映像が流れる瞬間が映画で一番楽しい瞬間だった、という事態は幸いにして避けられた本作だった。

 個人的にはあの映像はけっこう好きな瞬間で、あれを観ると「お、来るぞ来るぞ!」という気持ちになって、リドリー・スコットの映像が流れ始めるとがっくり来ることが多かったのだった――私は弟のトニー・スコットの方が好きなのである。


Scott Free Production - Logo in Films

 リドリー・スコットのざらつきというものは、映像の退屈さというべきものなのか、状況に対してかなり大味な映像や演出を仕掛けていく瞬間があって、『プロメテウス』はそういう要素が満載だったと思う。やる気がないというべきなのかもしれないのだが、まるっきり映像に関心がない瞬間というものが割とあるのだが、この映画の中では中国との関係が出てくるシーンを除けば、おおむねやる気が維持されていて面白いのだった。

 おそらくマット・デイモンという存在と、火星でひとり取り残されてDIYするという状況がうまくマッチした結果なのではないかと思う。そしてマット・デイモンを基軸にして、ドラマが作られていったところに少なくともこの映画の成功はあるのではないか。というか、マット・デイモンが偉いというだけの話ではあるまいか……?