Outside

Something is better than nothing.

『キャプテンハーロック』(2013年)

 

  荒牧伸志の『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』を観る。

 よく分からない世界観の下、とにかく地球はしっちゃかめっちゃかな状態になっており、けれどもハーロックはその中でとにかく何かやっているということなので、人々はその宇宙船に乗り込もうとするのだけれども当然蹴落とされてしまって(何せ人口は五千億人であったはずだ)、しかし主人公は「自由だ」と言うと、おそらく相当に自由度の高そうな宇宙においてその価値観が重要なのかどうか、はたして私には分からなかったのだが、とにかく合格して船に乗り込むことができる。

 それで、いろいろなところに行って、いろいろなことをやっていくわけだが、いろいろなことがあって大変で、いろいろと頑張って、いろいろな地球への思惑があり、いろいろあってハーロックが引き継がれる。

 CGの美しさはよかったのが、いかんせん話のスケールの割には背景にあまり感心するところが少なく、キャラクターだけで展開を持たせようとする意図がどうかと思うのであった。またハーロックの声優を務めた小栗旬の声が、個人的には合っていないと思われ、小栗旬自体は好きでも嫌いでもないのだが、とにかく合ってはいない。

 たぶん題材自体は悪くはないのだが、映像の技術的発展にかなり引きずられてしまった結果、話がおざなりになったのではないかと思われる。とにかく人口が五千億なのであるが、その人口が五千億ということはどういうことなのか。地球への居住権を巡る争いが過去にあり、そこが重要な要素となっているのだが、その五千億という大きさは、地球のキャパティシーの問題だけにしか回収されないのか、とも思うのである。

 なんていったって五千億人もの人々が地球を目指す、という設定で、ある種の「地球教」みたいな具合に総官が非常に大きな権力を有し、その教祖っぷりを発揮するのだが(最終的にホログラム地球の美しさを守るために物理的な地球を破壊しようとする。というか、地球がヒロインなのである――「母なる地球」であるがゆえに)、しかしなぜその総官に権力が集中しているのか。なにせ五千人ではなく、五千億という規模の人々が希求して止まない地球なのである。

 つまりこれは五千億の無駄遣いとしか思えないわけであり、単に言葉の心地よさにかなり引っ張られた設定でもあり、結局のところ五千億と言ってしまったがゆえの失敗としか思えない。