Outside

Something is better than nothing.

不確かな実体の手触り

 タイにて、パタヤビーチからスピードボートで15分程度のところにあるラン島にて、我が家族は宿泊した、その次の日のことである。つまり私は浜辺にいて、船を待っていた。朝からシーウォークをするため、現地ガイドに頼んでいたのである。

 眩しさが私の視界を襲った。実に眩しい。太陽は照りつけて、肌を焦がしていく。ひりひりと感じる日光の強さが、しかしこの異郷の地ではむしろ心地よかった。韓国人か日本人の若い人が、砂浜の上でサンオイルを塗り始めてゆっくりと寝転んでいった。私はなぜだかその一連の動作から視線を外すことができなかった。心のどこかで、あのように心置きなく太陽に身を置けるのが羨ましかったのかもしれない。

 私と妻と連れ立って海に入った。初め水は冷たく心臓の停止を想像したが、だんだんと慣れてくると、昨日の狂乱が思い出された。まるで子供のように――しかしタイにおいて私は私の両親の子供へと還ってしまっているから正しいのかもしれないのだが――振る舞っていたのである。ひとしきり海で泳いだあと、時間を潰していると舟がやってきた。スピードボートよりは少し小さめのもので、しかしエンジンはYAMAHAだった。

 船に乗って、私は小学校か中学校の頃を思い出していた。

 唐突な挿入であるが、私は釣りが嫌いである。昨夜、久々に釣りをして釣竿を握ったのだけれども、そしてきちんと正しく釣竿を振ることができたのだけれども、釣りは嫌いである。原因は父であり、私はだいだい父に紹介されたり教えられた物事は興味がなかったような気がする。釣りも、野球も、ギターも、スキーも。

 釣りは非常に暇である。釣れなかったときは恐ろしいくらいに暇である。暇な割に魚が釣れたことに対する個人的な喜びはさほどないので、私は釣り合いが取れないのだ。

 よく誤解されるのだが、私もかつては平均的な意味での「男の子」であった時期があり、前述の通り、釣りくらいは何とかできるし、スポーツも普通程度ならばできる運動神経を持っている。何より私は走ることが好きだった。持病の所為で、走ることに対してドクターストップがかかってから、積極的に走る意欲が減退して、とうとう運動からは遠ざかってしまったものの、例えばバッシュを履いて体育館の中を走り回るときの、あの太ももに強く感じられる筋肉と血液の躍動感に言いようのない幸福を感じていた人間だったのだ。野球だって、キャッチボールやノックは嫌いではないのである。

 しかしながら、釣りはどうしても駄目なのだった。釣針の、あの錆びた、しかし確実に皮膚に突き刺さるあの鋭さが、抜けづらくする返しが、そしてあれに餌をつけるときの、むじょむじょとした感触が、苦手でもあった。

 だから、というわけではない。私は、その船で、シーウォークに行くために乗った、タイはパタヤのラン島の洋上において、「釣針」を見たのだった。これは私の体験していない、しかし過去においてリアリティーを伴って想像された事柄が、今にフラッシュバックしてきて、まるで過去の体験であるかのように現在の記憶に侵入してきた事柄なのである。

 だから私はそこで架空の「釣針」を見、そしてその「釣針」が船の底の海水が入ってきたところに浸かってしまい錆びついて、その銀色を茶色に汚している様をまざまざと見、その茶色の中にうっかり踏んづけてしまって足に刺さった血の色を見、その血の色が海水に滲んでやや濁っているようになっている様を見、海水の中に砂が混じって針や足に引っついてざらざらしている様を見、足に突き刺さってしまい、返しがついていることでなかなか抜けない様を見、さらには一生懸命引っ張っている「糸」までも見えるのであった。

 不思議だった。船内には釣り道具など一つも存在しないにもかかわらず、私の記憶においては確実にそれは存在し、なおかつ過去の記憶にある私は確実にそれに触れているのである。

 やがて船は別のさらに大きな船へと辿り着いた。そこにおいてシーウォークが始まるのであろう。その大きな船は、あいにく私のいかなる記憶とも結びつかなかった。少々名残惜しさを感じながら、私はその決して体験したことのない過去を持った船を去るのだった。