Outside

Something is better than nothing.

履歴と痕跡

 履歴が私自身を作っていくような気がしている。意図しようが、意図しまいが、日常を過ごしていくうちに自然とできる轍が、自身の過去を形作り、同時にその先にある現在をも規定してしまう。
 膨大なテクストに囲まれて、あらゆる文字が私を表していく感覚が、あるとき妙に居心地悪く感じられた。貪欲に外にある物事を取り込み、肥大化していく私という名のテクスト。同時に、検索性の悪さから、過去は忘却されていき、整理されていく。
 一時期、ある人が整理された文章について書いていた時期があった。過去形で書かれる文章に対して、私はそれを感じる。過去形で書かれた文章は、ひと段落ついた出来事を扱っているかのようなのだ。
 このひと段落ついた痕跡を、どこかで忘れ去りながら、どこかで記憶しているものが私であって、それらの(忘れたことも含めた)履歴が、私自身と成り代わっているのだった。かくして、私はすでに私を失っているとも言えるわけだが、同時にそれらを背負うことこそが生きることであるとも言えるわけで、悩みは尽きない。