Outside

Something is better than nothing.

芸術

黙読から音読へ

シェイクスピアのいわゆる四大悲劇の一つ『オセロウ』(菅康男訳、岩波文庫)を先日、妻と一緒に互いに役を割り振って音読していた。ある意味、演劇の練習みたいなもので、そこそこに感情を込めて読んでいたために、家の中で抑揚のある話し声が延々と続くと…

無限後退の夢

先日、小野不由美が原作の映画『残穢』を観てきた。個人的にかなり好みの映画で、ホラーというよりは妙な気味の悪さが残るものだった。ということで、ここから先はネタバレを含むかもしれず、人によっては嫌悪するかもしれない。とはいえ、感想を書くわけで…

書いた形跡

記述の量に端的に驚くべきか、生きるということの蓄積とはそもそも目に見える形であれ消え去ってしまうものであれそういう類のものなのか、私には生まれてから死ぬまでの一連の流れを知らないために判断がつこうはずもないのだけれども、読む文字量と書く文…

残存性

十年くらい前のことなのだが――という書き出しを書いて思ったのだが、かつて物を書き始めた頃の自分の「十年前」という時間軸は、物心がつき始めたばかりの頃か、まったくないときのことで、記憶というものは常に拡大をし続けていく一方ではあるが、私にその…

水族館・春画展・「私」の変質

保坂和志の『遠い触覚』は、デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』(2006年)についてかなり割かれており、割かれておりと書きつつ、そこに書かれている文章は、のらりくらりと直接的な対象としてでなく思考の流れとしてこの映画を考えている。 先…

部屋の中心的なテーマ

四方の壁、六方を限定されたその空間は、ほとんどの人にとって馴染み深い場所であるに違いない。すべてとは言い難いが、おおむね人は部屋の中で生活を行っている。もちろん四方の壁に囲まれたというのは、正方形ないし長方形の部屋を想定しているからで、デ…

世界の果てという概念について

世界の観念性は果てしない。誰しも世界の中に存在しながら、世界それ自体についての認識は、個人の埒外にあるのだった。つまるところ、世界の中心や世界の終わり、さらには世界の果て、というものはどこにも存在しない。どこにも存在しないがゆえに、我々の…