Outside

Something is better than nothing.

『マリアンヌ』(2019年)

マリアンヌ(字幕版)

マリアンヌ(字幕版)

  • ブラッド ピット
Amazon

 ロバート・ゼメキスの『マリアンヌ』を観る。

 第二次大戦下のフランス領はモロッコブラッド・ピット演じる工作員マックス・ヴァタンは、マリオン・コティヤール演じるマリアンヌ・ボーセジュールと合流し、夫婦を偽装する。目的はナチスドイツの大使を暗殺することであった。成功率の低いその任務に、始めはあくまで仕事としての付き合いだった二人は、その前日に結ばれる。暗殺が成功し、二人はイギリスにおいて結婚することになる。二人の間にはアナという娘もでき、マックスは順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。しかし、ある日、高官に呼び出された彼は、最愛の妻がナチスドイツの二重スパイである可能性を指摘される。メッセージをわざと妻の見える場所に残し、72時間の間に敵国の無線網に引っかかれば妻が二重スパイであることは確定し、夫は妻を殺さなければならない。マックスはあらゆる可能性を探し回るが、その過程でフランス出身のマリアンヌは死亡が確認されていることが分かる。彼女を知る者を当たるが、彼女はラ・マルセイエーズをピアノで弾けるという証言に出会い、彼女にピアノを弾くように言うが、弾けない。彼女は二重スパイであることが判明する。ナチスとは関係を絶っていたが、アナを殺すと脅されて仕方なく協力していたとマリアンヌは告げる。そして、あのメッセージも送ってしまった、と。逃げるしかないと判断した彼は、マリアンヌを脅していた連中を殺害していき、イギリス空軍基地から飛行機を拝借して逃げようとするが、しかしエンジンがかからず追っ手に追いつかれてしまう。抵抗するマックスだったが、マリアンヌは覚悟を決め、自殺する。アナをマックスに託して。

 ブラッド・ピットは愛する者との離別をよく演じているような気がする。例えば『セブン』(1995年)がそうだし、『ベンジャミン・バトン』(2008年)も印象に残っている。マリオン・コティヤールは彼の最愛の妻を熱演し、その表情や仕草からいかに魅力的だったかを伝えてやまない。

 私はこの映画が本当に気に入ったのだが、これは私という世界におけるさまざまな存在が透けて見えたからかもしれない。そういった意味においてはあまりフェアな評価とは言えないかもしれない。

 しかし、それでも冒頭のパラシュートでモロッコの砂漠に降り立ったその瞬間から、映像の心地よさは持続し、イギリスで狂乱のパーティーを開きながら外では不気味にナチスの飛行機とそれへの対空砲火が行われる、あの戦争の美しさもあり、マックスがマリアンヌの無実を証明するためにフランスにまで行き着く手際の良さも捨てがたい。

 この魅力的な映画は題材もさることながら、その手つきに至っても美しく、結末の悲劇的な選択もまた、その悲壮な美しさを湛えている。墜落した飛行機を背景に、家族三人がピクニックをしているあの構図もまた良い。かなり気に入った次第である。

『新聞記者』(2019年)

新聞記者

新聞記者

  • シム・ウンギョン
Amazon

 藤井直人の『新聞記者』を観る。

 シム・ウンギョン演じる吉岡エリカは東都新聞に務める新聞記者で、北村有起哉演じる陣野から大学新設計画に関する書類を受け取り、調査を命じられる。一方、内閣情報調査室に勤める松坂桃李演じる杉原拓海は、本田翼演じる出産間近の妻奈津美を養いながら、外務省畑から離れた内閣情報調査室で働いている。田中哲司演じる上司の多田から国を守るための指示が飛んでくるので、それに対してのカバーストーリーのようなものを作成しているのだった。杉原には、外務省時代の高橋和也演じる神崎という元上司がいたが、彼は不祥事の責任を負わされている。吉岡は調査を進める過程で神崎に行き着くが、時を同じくして神崎が自殺してしまう。杉原は激しく動揺するものの、調査室の中で自分とは関わりのないところで神崎に対する操作が行われていたらしいことを知る。神崎の葬儀の場で週刊誌が遺族に対して過剰な報道をする中で、かつて誤報をきっかけに自殺に追い込まれた父親の葬儀と被った吉岡は、つい報道陣に対して制止する。これをきっっかけに吉岡と杉原は出会うことになる。その後、二人は協力を進め、神崎が軍事転用も可能な生物兵器を研究する施設を大学として認可申請するという、本来ならば文科省の管轄であるはずの事象が内閣府で処理されている。裏を取るために杉原はリスクを冒して、写真を撮り、場合によっては実名を出してもよいというところまでこぎ着け、ようやくスクープとして世に出ることになる。杉原は妻とともに産まれたばかりの子を家に帰るその日にスクープは出る。官邸は火消しのために吉岡の過去を週刊誌に暴き立て、東都新聞側は次の一手を検討することになる。多田は沈静化を図るために、杉原に対し、キャリアを約束する。動揺する杉原を前に、次の一手のために動き始めた吉岡は必死でコンタクトを取ろうと何度も携帯電話に着信を入れるが、交差点を隔てて二人は向かい合う。

 いわゆる森友・加計問題の問題を「新聞記者」という視点人物を通して、フィクションとして描き出した作品である、ということはここ数年間、日本に住んでいる人ならば説明不要な事象であるが、記しておこう。

 シム・ウンギョンは状況に対し、切実に追いかける経験の浅い記者を熱演し、その執念は父親のかつての誤報という動機づけがなされている。松坂桃李は杉原という官僚社会において疑問を抱く若い官僚を熱演し、本田翼という妊婦の存在がこれを補完している。

 俳優自体は適切に配置されていると思われるのだが、『トラフィック』(2000年)のように内閣情報調査室でのシーンは青黒い色彩を基調とした部屋になっているのだが、これはあまりに杉原の心理を表しすぎており、あざとさを感じる。何もあんな暗い部屋で作業などしなくてもよいのである。

 現実のあまりに馬鹿馬鹿しい縁故政治に嫌気が差したのだろう、大学認可はここでは生物兵器という理由づけがされているのだが、これ自体は構わないと思うのだが、(繰り返すが)現実のあまりのお粗末さをオーバーラップして観てしまうこちらとしては、熱量を投入すべき事象のようには思えない(が、再三にわたって恐縮だが、現実の方がもっともっと馬鹿らしいのでどうしようもない)。

 この不器用でありながら、あるいはであるからこそのシリアスさについては一定の評価をしたいと思うのだが、現実のあまりの馬鹿馬鹿しさの前では『ドント・ルック・アップ』(2021年)の狂乱と空白にはまったく及ばない。我々はもっとどうしようもない地点にいるのだし、この「新聞記者」もまた文春砲の持つ馬鹿馬鹿しいシリアスさ(シリアスな馬鹿馬鹿しさ?)にはまったく及んでいないような気がする。

 察するに、ここでモラルとして託されている「新聞記者」を成立させるための社会的使命(我々は新聞記者のあまりの傍若無人ぶりや厚顔無恥ぶりを知らないわけではないし、そもそも戦中における新聞メディアの破廉恥さを忘れているわけではない)が、そもそもとして成立していないところ、あるいは「清廉」を前提としているところに無理があるような気がする。

『ファーザー』(2020年)

 フローリアン・ゼレールの『ファーザー』を観る。

 アンソニー・ホプキンス演じるアンソニーは、年老いた結果として認知症を患い、オリヴィア・コールマン演じる娘アンに心配されつつも、ヘルパーと折が合わずにに何度も衝突していた。しかし、アンにもアンの人生があり、ルーファス・シーウェル演じるポールとともにパリに移住する心積もりであったものの、ロンドンを離れたくないアンソニーをホームに入れるかどうかアンは悩んでいる。その間にもアンソニー認知症は進行し、アンの顔を忘れ、オリヴィア・ウィリアムズ演じる女性やマーク・ゲイティス演じる男性を家の中に見るようになる。また、イモージェン・プーツ演じるローラに至っては、数年前に事故で亡くなったアンの妹であり、彼の記憶と現在はひたすらに混乱していく。最終的にはアイーシャー・ダルカール演じる医師サライの紹介の元、先ほどの男性と女性のいるホームに入居し、アンはパリに移住することになる。残されたアンソニーは介護師を前に、状況への混乱からか子供の時分に感じた母親の面影に囚われることになり、女性の胸で赤子のように泣きじゃくるのであった。

 基本的な作りとしてはよくある話といえばそうなのかもしれないのだが、それをフローリアン・ゼレールは内装を少しずつ変え、シチュエーションの微妙な差異によって認知症を見事に表しており、大胆に「アン」や「ポール」を纏う役者を入れ替えることで、アンソニー自身の不信感とともに観ているこちらの感覚を揺さぶってくる。

 画面は常に不安で、不安定であり、それはアンソニー認知症の進行による「現在」への侵襲と同じくしている。しかし、アンソニーはそれを毎度のことのように、不随意に記憶をリセットし、再構築をするために、何が何だか分からなくなってくる。しかし、そのリズムがまったく映画として不快ではなく(不安さはあるものの)、関心が持続することになるために、このシチュエーションに投入された同名のキャラクターを演じるアンソニー・ホプキンスの絶妙な演技によってどんどん同一化をしていくこととなる。

 これはかなり凄いものを観た、と思うのと同時に、我々が抱える「老い」、そして身近な家族の「老い」への関わりが如実に現れており、素晴らしいと思う。

 アンソニー・ホプキンスだけでなく、アンを演じたオリヴィア・コールマンはこの老父を抱えた中年女性の不安やパートナーとの軋轢、今後の人生の展望等、複雑なキャラクターを見事に演じ切っている。