Outside

Something is better than nothing.

『ザ・リチュアル』(2018年)

 デヴィッド・ブルックナーの『ザ・リチュアル』を観る。Netflixオリジナル。

 幼なじみなのか仲の良い男たち5人は週末にパブに集まって酒を飲んでぐだぐだするのが楽しみとなっているのだが、仲の良い男たち5人組にありがちなように、だんだんと昔話ばかりになってきて、仕事、結婚、生活、年齢といった諸々の人生上の重き荷を背負うがごとし的な状況により、あまり楽しめなくなってきたので、旅行に行こうと計画を練っていたところ、スウェーデンにハイキングに行こう、何か試練を成し遂げたいんだという1人の男がいたのだが、帰り道のコンビニで酒を買おうとしていたところ強盗に襲われて死んでしまうので、残った4人は彼を弔うためにスウェーデンへ向かう。いけ好かない男が足を捻挫したところから一行の雲行きはかなり怪しくなり、森を抜けて近道をしようとしたところ、針葉樹林に囲われた森の中は不気味で、何かがいる気配がある。やがて夜になって小屋を見つけたので、中に入って休むと、一行は奇妙な夢を見て、それぞれに悲惨な状況に陥る。昨晩の悪夢を忘れて先へ進むのだが、ひとり、またひとりと木につるされてお腹を掻っ捌かれるような悲惨な目に遭うので、いよいよ危険だというところに、先だっての幼なじみが強盗に殺されたときに、助けることもできずに隠れていた男への非難が高まり、仲違いをする。しかし、仲を取り持っていた男が殺され、加速度的に殺人の進行が早まっていくうちに、二人だけとなった一行は謎めいた村に連れて行かれる。どうやらそこでは古代の神を祀っているらしく、男は神に見初められたのだ。かくしていけ好かない、足を捻挫した男は古代の神に生贄として捧げられ、最後に残った男はライフルを駆使して森の外にまで逃げ出して、なんとか生き延びるのだった。

 おそらく、というか明確に「森」への恐怖があるのだろうと思うところと、それはアメリカにおける『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のようなもののヨーロッパ的な変形としての古代の神というところなのだろうが、その恐怖心に明確な形を与えることで、いささか奇妙なことになってはいる。

 とはいえ、イギリスの幼なじみというところで私は妙に好感を持ってしまったというのは事実で、画面的にはイギリスでもアメリカでも、たぶん英語圏ならばどこでもいいのだろうという感じはあったものの、それなりに楽しめたことは事実だった。