Outside

Something is better than nothing.

『ダンケルク』(2017年)

ダンケルク(字幕版)

ダンケルク(字幕版)

 

 クリストファー・ノーランの『ダンケルク』を観る。

 第二次大戦下のダンケルク(フランス)において、連合国側はドイツ軍に包囲されていた。イギリス軍のフィン・ホワイトヘッド演じるトミー二等兵は自身の分隊がドイツ軍によって銃撃され、命からがら浜辺へ逃げたところへ、アナイリン・バーナード演じるギブソンという兵士と出会い、一週間が始まる。場面が変わり、マーク・ライランス演じるミスター・ドーソンは停泊中の観光船の上で、海軍が民間船を徴発するために見回っている最中、出港を息子のトム・グリン=カーニー演じるピーターとバリー・コーガン演じるジョージに命じ、一日が始まる。ジャック・ロウデン演じるコリンズと、トム・ハーディー演じるファリアはイギリス空軍のパイロットで、隊長機とともにスピットファイアに搭乗してダンケルクに向かう一時間が始まる。

 上記の三つの時間軸を、それぞれ照応するタイミング等で切り替えつつ、だんだんと一週間の時間軸、一日の時間軸、一時間の時間軸が同一の時間軸に追いついてくるように調整され、映画はチャーチルの演説を新聞の上で読み上げるところで、悪夢が終わる。

 ノーランはこれまでの大仰な語り口を止めて、努めて戦争をディザスター映画のように撮ることに決めたらしく、ハンス・ジマーの緊張感と閉塞感を高める音楽の使い方と少ない台詞、ドイツ軍の兵士たちがほぼ(一切と言ってもいいのだけども)顔を出さない抽象化によって、事物を淡々と映し出す叙事詩的な映画となっている。

 禁欲的とすら言ってもいいかもしれないこの映画だが、私はノーラン作品の中ではベストなのではないか、と思っている。『メメント』のどうしようもない記憶力の欠如、『ダークナイト』のつまらないバイクの後輪の連続、『インセプション』のただただ複雑さのみを追い求めた撮影方針、『インターステラー』の宇宙規模の幽霊譚を超えて、ようやくここに至った、という感慨がある。

 桟橋でイギリス軍が待機している最中というのは、ある意味で『宇宙戦争』なのだろうし、オランダ人の寄越した商船の中で、ひたすらに互いに牽制し合うところなどは見物だった。

 何はともあれ、かのような緊張感を携えながらも、カットの繋ぎが非常によくて(例えばスピットファイア海上に墜落した直後に浸水してくるシーンと、商船の中での浸水を塞ぐシーン、変わるなと分かっていても、シーンが変わると、何かすうっとした気分になる)非常に心地よい映画であった。スピットファイアの滑空シーンは妙な居心地の悪さがあったけれども。