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『LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門』(2017年)

 小池健の『LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門』を観る。

 石川五ェ門はヤクザたちに用心棒として雇われるものの、謎の男ホークによる賭博船の襲撃を防ぐことができなかった。ルパン三世次元大介峰不二子たちも同じく賭博船の売上を狙うために忍び込んでいたが、どうやらホークはルパンたちを狙ったらしい。銭形警部によるとホークはかつて二千人もの人を戦場で殺し、バミューダ海域にて爆撃に巻き込まれるような形で死亡したとのことだったが、どうやら生き返ったか生き残ったかで、ターミネーターばりに粛々と暗殺任務を遂行するようになって行った。組長の葬儀の席で、組長を助けずに逃げた用心棒や次期組長に誹られる五ェ門はホークを殺すために勝負を挑むものの、ホークの怪力の前に呆気なく敗れ去ってしまう。失意に沈んだ五ェ門は修行を行い、ホークを倒そうとするが、ホークのイメージが浮かび前に進むことができない。しかし、次期組長や用心棒たちが修行中の五ェ門の前に現れて、彼をいたぶっていたところ、一筋に光明が見え、襲撃してきたヤクザを切り倒していく。彼はようやく修行の末に先読みを会得するのだった。ルパン三世次元大介は執拗にホークに狙われ、銃撃もホークの斧によって跳ね返される始末で、次第に追い詰められていき、寺に逃げ込む。あと一歩のところで五ェ門が加勢し、ホークと対峙する。五ェ門は肉を切らせて骨を断つばりに、自身の肩を犠牲にしてホークの片腕を切り落とし、なおも追撃しようとするホークに先読み的な一瞬先の未来を予想させることで撃退するのだった。

 コンセプトはしっかりしているのだが、ルパン三世シリーズの映像としての面白みはあるものの、脚本上の奥行きはほとんどない始末で、それは尺の関係なのかどうかはさておき、冒頭のホークと謎の女の子の下りは、後にテレビシリーズなので補完される予定なのかさっぱり分からず、同時にバミューダ海域云々というのは設定上面白そうだったから取り入れられただけで、その後に活かされた様子もないように思われる。つまり、それがルパン三世のコンセプトだと言えばそれまでの話であるのだが、『燃えよ斬鉄剣』の五ェ門の方が記憶に残っていたような気がする。

 前作『次元大介の墓標』もそうだったのだが、『峰不二子という女』の傑作具合からすると、やや手が抜かれているような印象を覚えてしまうのは、キャラクターを掘り下げるための尺の問題なのだろうか、前後編の二話で終わってしまうのが勿体ないコンセプトなのである。

 また、五ェ門の先読み的な描写はそのまんまガイ・リッチーの『シャーロック・ホームズ』シリーズのホームズ(あるいはモリアーティ)のようであって、それはそれで感興が削がれる。

 とはいえ、一見の価値があるのが、五ェ門がヤクザたちをバッタバッタと切り捨てていくシーンで、ここは非常に見応えがあるのだった。むしろここにフォーカスを当てるような形で話を再構成していく方がいいのではないのか、と思われる。ヤクザとホークが裏で繋がっていた、とかそういう方面で構成していた方が。

 最後に、ホークに肩を削がれる瞬間は、かなり驚いたということを記して終える。

 

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  前作の感想。

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