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Outside

Something is better than nothing.

『バイオハザード:ザ・ファイナル』(2016年)

 ポール・W・S・アンダーソンの『バイオハザード:ザ・ファイナル』を観る。

 一体どの層がこの続編を、そして最終作を期待していたのだろうか。それは私のような、どうしようもないゾンビ好きである。あるいは第一作を何となく視聴し、アリス演じるミラ・ジョヴォヴィッチの麗しさにやられてしまった以上はある種の義務として最後まで観通さなければならないのではないかという紳士淑女の嗜み、もとい惰性――物理学的に言えば慣性の法則――に則った、偉大なる、ながら観としての映画視聴層こそが、この映画を期待していたのだと言ってもいいのかもしれない。そして監督はと言えば、原作のB級テイストを、まさか予算面ではなくクオリティ方面で発揮するとは、と誰しもが驚き呆れ、なおかつあの麗しきミラとも結婚までしたポール・W・S・アンダーソンであり、それはもはやマイケル・ベイトランスフォーマー』(2007年)の主人公よりもだらしない。しかし、前作から、またしても何やかんやあって(としか言いようのない唐突さ!)、結局はレッドクイーンなるAIの導きに従って、第一作、第二作の舞台であり、アメリカ政府の核攻撃によって消失したかと思われたラクーンシティに赴くことになる。第三作で敵役としてやられたイアン・グレン演じるサミュエル・アイザックス博士が再登場し(また再登場かよ!こんなのってありかよ!)、前作で味方になったかと思われたジェイソン・オマラ演じるウェスカーはやはり寝返り、いやもうアリスが捕まったり、アリ・ラーター演じるクレア・レッドフィールドと再会して、彼女の恋人がスパイだったり、てんやわんやで、第一作で唯一の見所である(そして監督もそれを自覚している)狭い通路でのレーザービーム地獄が再現される。かくして、Tウイルスを死滅させる抗ウイルス剤を手に入れるために悪戦苦闘するのだが、アンブレラ社の創業者の娘がアリスの元ネタだったり、レッドクイーンもその娘のデータを抽出したものだったりと、どうでもいい設定が開陳されて、死闘の末にそれを獲得するのだが、好都合なことに体内のTウイルスだけを死滅させるためアリスは死なないのだった。これが風に乗って全世界に広がるまで時間がかかるということで、アリスの旅は続く。

 根本的に駄作ではあるのだが、しかしこのシリーズを、完全なる破綻を来すことなくここまでやってきたという、ただ映画を撮り続ける前へ進むエネルギーだけは褒められるのではないのか、と思わなくもないのだが、やはり前作からの連続性がおそらく監督自身も「きっと誰も真面目に観ていないし~」というエクスキューズの下、適当に端折って都合のいいラスト展開に至らしめる、というところは冒頭から感心しない。アリスは一体何のために戦っているのか、どうしてあんなに都合良く気絶するのか、なぜ初めて会ったばかりの連中のリーダーにすぐ収まることができるのか、という諸所の問題は何も解決されないまま、人類が相当数減り続けているために、人間は資源といってもよさそうなのに、さっさと殺され続ける人々が気の毒で仕方ない。あとローラは言われているほど端役というわけではなく、しっかり死に様まで描かれているのでかなりいいのではないか。

 おそらく誰も途中まできちんと観ていないために、第一作で登場したハイブを軸にして話を進めたのだろうが、これほど感心しない反復は久しぶりに観たのであり、この感心のしなさ、ということを割と真剣に考える必要はあるだろうと思う。おそらくは(ストーリーがすべてではないとは思いつつも)ストーリーについての監督や脚本の舐めきった態度、があるのではないか、とひとまず睨んでいる。

 しかしこう腐してきたわけではあるのだが、けれどもある種の敬意はこのシリーズには払う必要があり、先日観た『アサシン クリード』(2017年)のどうしようもない駄作っぷりと比べると、まだ幾分か「バイオハザード」シリーズはマシだったのではないか、と思うのである。何よりもポール・W・S・アンダーソンミラ・ジョヴォヴィッチは結婚して子供まで儲けたわけで、そういった意味ではある種、壮大なホームムービーを見せられた、と考えても差し支えはあるまい。

 

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 前作の感想。

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