Outside

Something is better than nothing.

クリエイターの手

two hands

 Netflixで『アート・オブ・デザイン』というドキュメンタリーを最近観ているのだけれども、これがけっこう面白くていろいろなことを考えてしまう。第四回まで観ていて、今のところどのクリエイターも手を使って物を作り出している。

 デジタルとの融合はもちろんあるし、実際iPad proでApple pencilを使いながらNIKEのスニーカーをデザインしている様など観ていると惚れ惚れするのも事実でありながら、その彼はというと陸上で棒高跳びをやっていたわけであったりするので、面白い。

 舞台デザイナーは四角形、それも正方形にこだわりながら、手元で延々と正方形の模型を作っているし、小説雑誌の表紙を描くイラストレーターはレゴで抽象的な図像をいじくり回す。建築家は形状が段々畑のように互いに交差している造形物が好みなのか、そういった模型を、そして建築を作っている。

 デジタルという言葉の語源は「指」であるということを先日知って以来、「書く」という行為をできるだけデジタル機器に移行していた私は、ちょっとその移行を立ち止まって考えてみることにしたのだった。

 けっこう書くことというのはせいぜい仕事上で何か走り書きを記したり、手紙をあえて手書きで書いたりするときくらいのもので、それ以外のほとんどを「書く」とは名ばかりの打鍵、キーボードの打ち込みに移行していたので――いやそもそも字がとんでもなく汚いので億劫なのだった。

 ただアイディアの部分では今でも手書きで書くことはあって、専用のノートにペンでアイディアを走らせていくのだったが、一度これをデジタルに移行しようと思っていたのだが、どうしても図像的なイメージがうまく移行できずに、すべてが面倒臭くなって、スケッチを描くことすら止めてしまった。

 結果的にそうすることによって何も生み出せないスランプになってしまったのだったが、それはある意味でデジタルの語源を忘れ去ってしまったからに他ならないだろう。デジタル、とはいえ、そもそも打鍵しているという身体性を忘れてしまうことはできない。

 クリエイターの手を久々にきちんと眺めていくにつれて、その手が、繊細な工芸品を作り上げていくわけで、その手つきがまた思考の一つの具体を表している。