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『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)

 キャリー・ジョージ・フクナガの『ビースト・オブ・ノー・ネーション』を観る。Netflixで視聴可能。

 アブラハム・アター演じるアグーはアフリカで家族とともに住んでいたが政情が不安定になっていき、男たちは代々の土地を守るために戦い、女子供は首都に疎開するということに決まるのだが、疎開する際にタクシーに母子を乗せてもらうように父親が頼むものの、運転手は母親と幼い妹しか乗せてくれず、結局アグーは父や兄、盲目の祖父とともに村に居続けることになる。間もなく政府軍が村を襲い、反乱軍のスパイということで彼らを射殺し、兄とともになんとか逃げ延びようとするものの兄も殺されてしまう。アグーは茂みを彷徨い続けることになるのだが、そこでイドリス・エルバ演じるコマンダント、司令官と呼ばれる男に拾われる。彼は反乱軍の部隊を率いる司令官で、アグーは少年兵として彼の部隊に組み込まれることになる。そこでアグーは初めて人を殺し、司令官の性処理を行い、口の利けない同じ少年兵と友情を育ませ、ガンパウダーを経験する。司令官に気に入られたアグーは彼とともに行動することが増えるが、司令官の上司である総司令官と戦後処理の国際社会における立場が食い違い、部隊を副官に渡されそうになるので娼館で副官に怪我を負わせ、反乱軍から分離独立して部隊を率いていくようになる。しかし補給も乏しく次第に物資が尽きつつある司令官に従う者も少なくなり、部隊のメンバーは部隊から離れることに決める。その後、アグーはリハビリ施設に送られるが、かつてのメンバーはふたたび戦争に戻っていく。アグーはなかなか打ち解けることのできなかった施設の子供たちとともに海に行くシーンで映画が終わる。

 キャリー・ジョージ・フクナガの作品は『闇の列車、光の旅』(2009年)、『ジェーン・エア』(2011年)と観てきたのだが、作品ごとに舞台が大きく変わる印象がまずある。その上で、この作品はけっこう長い間、存在を知ってはいたもののなんとなく敬遠していた。正直なところ、あまり関心が向かなかったというところがある。ただ『ジェーン・エア』を先日観て、やっぱり観なければならないよなあと思い直して視聴を決めた。

 結果的にはよかった。アグーを演じたアブラハム・アターの演技が凄い。少年兵という体験を経ながら、そしてガンパウダーで特徴的な幻覚が訪れるシークエンスがあるのだが、そういった錯乱、あるいは性的に未発達にもかかわらず司令官との性行為を行ってしまうなど、「子供」という存在にとって混乱することばかりの経験の中で、アグーというひとりの少年を通して、戦争というものを冷徹に見ている。そして、その説得力が彼の演技の中にある。冒頭の外枠だけあるテレビに、子供たちが自分たちで番組を作り上げて遊ぶ空想テレビの下りなどの明るい描写もよかったし、だんだんと緑色が増えていき、それが反転して妙な色になってしまう薬物のシーンもまたよかった。陰惨というしかないのだが、その陰惨さを描き切っているところが凄いのである。例によって光線の具合もかなり好みの部類に入る。

 初登場時に司令官のカリスマ性が、だんだんと地位や名誉、あるいは面子といったものによって剥がれ落ちていき、娼館で女を抱いたときから下降の一途を辿り始め、最終的には殺す価値すらないような形で決別していくという流れもまたいい。

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[2017年2月16日、誤字修正]