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Outside

Something is better than nothing.

『サクラメント』(2013年)

 タイ・ウェストの『サクラメント』を観る。

 薬物中毒だった妹がカルト教団に入ってしまったと言う兄から相談を受けたジャーナリストたちがそのカルト教団の生活する場所に訪れるのだが、妹との再会は呆気なく終わり、思ったよりも歓迎されて教祖にインタビューすら試みることができる。さらにその後お祭りに参加さえして、「意外と悪くないな」と言い合っていると、口が利けない女の子が何か助けてくれと書かれた紙を渡すので、母親に話を聞くとここはよくない場所だと言う。警戒感が湧いてきた彼らは一緒に来た兄貴を探すのだが、どうやら彼は2人の女性から性的な歓待を受けているようで、それを告げる薬物中毒が治ったはずの妹も薬物を使用したらしき高揚感を隠そうともせずに教祖の家に泊まる。複数の信徒たちが逃げたいとの希望を伝えるのだが、ジャーナリストたちの乗ってきたヘリにはそこまでの収容することはできない。一夜が明けると騒ぎが起きており、信徒たちが逃げ出したいと叫んでいる。そこで教祖はこれを帝国主義的なアメリカの軍隊が我々を殺しに来るぞという終末論を唱え始め、一緒にあの世に逝こうということでおそらく兼ねてから備えられていたのだろう毒薬が作られ、赤いジュースのように紙コップに注がれて信徒たちに配られる。もちろん抵抗を示す者もいたのだが、容赦なく銃殺されて全員する。兄貴は妹に殺され、妹は自分に火をつけて自殺する。ジャーナリストはなんとか生き延びることができたが、教祖もまた口に銃口を向けて引き金を引くので、誰も彼もが死んでしまったのだった。

 この映画は1978年に起こった「人民寺院」の集団自殺をモチーフに、モキュメンタリーという形式でPOVを活用し撮られている。カルト教団を扱ったものと言えば、最近の作品だとHuluオリジナルドラマでアーロン・ポール主演の『THE PATH』(2016年)があり、それはそれで傑作といってもいい出来で、次のシーズンが待たれるのだが、この作品は製作に『ホステル』(2005年)などで有名なイーライ・ロスが加わっていることもあって、正直なところゴア描写が主眼の映画なのかと思っていた。

 だが違う。

 それなりにまじめに作ろうとした映画だと思われ、「人民寺院」の集団自殺を現代に忠実に置き換えようとした映画だと言える。視線もまあ悪くないとは思うし、POVの必然性もジャーナリストという観点によって明確に保たれている。

 観ていてそれなりの妥当性を感じることもできたのだが、『THE PATH』がドラマという尺を十二分に利用して、カルト教団というものを単純に「理解できないもの」として突き放すのではなく、アーロン・ポール自身が教団内部にいることも相まって、中の価値観を浮き上がらせることに成功しているのとは対照的に、この映画は「一人称」として撮ることによって、明確に「理解できないもの」としてカルト教団を突き放す。

 同時にそれは教団側にとっても異質なものはそのまんま異質なものとして現れてくることになる。だから教祖(「父」と呼ばれている)はジャーナリストがたかだか何人かの信徒を連れて帰ろうとしただけでヒステリックに集団自殺に向かってしまうし、妹は狂信的に兄を殺害し、焼身自殺する。そこには相対性が喪失しており、なんとなればPOVで撮られているからに他ならない。

『THE PATH』ではアーロン・ポールの息子が自分たちの教えと違う女の子に恋をし、そしてその女の子の家族が経済的に困窮し、一時、その共同体に逃げてくるシーンがある。このドラマ自体がもちろん三人称的にカメラを配置しているからということもあるし、そういうテーマだからということもあるのだが、そして主人公たるアーロン・ポールが自分の築いてきた家族との関係性を重視していることからも分かるのだが、一面的ではない「宗教」というものを扱っている(それがカルトと見なされていたとしても)。だからこのドラマでは子供の出産が描かれているのだと私は思っていて、子供の出産とは人間にとってもっとも生々しくて原初的な、そして本当にその子が生きるかどうか不明確な出来事だ。その不安定さに宗教が介在しないはずがない。

 つまりどういうことが言いたいのかというと、ホラー映画やゾンビ映画においてPOVによる撮り方はかなり有効だろうと思う。怖いと思うのは一方的な思い込みに端を発するものだからだ。単声だと言ってもいい。

 けれども、ここで描かれたカルト教団集団自殺のシーンがどこか空々しく映ってしまうのは、その撮影のされ方が非常に一面的であるからである。もちろんカメラが二台あったから多面的だとかそういうことにはならない。このシーンは撮る側の思惑が二つに分裂し、一方はジャーナリズム、他方はカルト宗教の宗教性に基づいているが、どちらも他方を理解するつもりはない。だから両者の間に対話は設けられず、教祖は一方的に自分たちが侵されたと思っているのである。そして理解できないまま、映画は終わる。

『THE PATH』では教祖がガンか何かに倒れており意識不明であり、その代わりに合議制が図られていたのが、途中である人物が突出しリーダーシップを取る。その人物の行動は独善的であるのだが、その独善的なところの描き方がかなり面白い。そしてその彼が愛するのはアーロン・ポールが演じる夫の妻である。三角関係とカルト教団の宗教団体としての運営、さらには不法滞在している外国人を匿うものだから世間の注目すら集めてしまう。はっきり言って、「人民寺院」的な結末に行きかねない要素がひしひしと感じられる。そしてその雰囲気の描き方が、絶妙に上手いのだ。

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