Outside

Something is better than nothing.

『パラノーマル・アクティビティ』(2007年)

  オーレン・ペリの『パラノーマル・アクティビティ』を観る。実は劇場で観たことがあり、今回は二度目の視聴となる。

  男女のカップルがおり、男はデイトレーダー、女は大学生といった設定で、彼女は子供の頃から何かしらに憑かれているという悩みがあり、彼氏にそれを相談するも彼氏はおそらく科学的に解決できるのであろうと思い、カメラを購入するも、いやらしい目的に使いたかったり、ところ構わずカメラに彼女を収めようとするのでだんだんと嫌になってくるのであるが、訪れた霊能力者に私は担当ではないと実にお役所的に断られたりもする彼らカップルだった。事態はどんどん悪化していき、彼女の奇行も増えてきて、互いに参っているところにある夜に彼女がどこかへ行ってしまうのを彼氏が追いかけると彼氏は殺されて終わる。

 割と好みといえば好みの映画で、ホラー映画である以上、その裏設定については詮索しない方がましだというものなのだが、状況設定がやはり秀逸であることは疑いようのない事実である。続編以降は観ていないのだが、この映画の設定を広がらせていくのであれば、おそらくそう面白くはないはずで、論理的帰結がホラー映画にもたらされる場合、それはホラー映画ではない何かになるのである。

 彼氏がところ構わずカメラに収めようとする辺りにけっこう好感を持て、よくよく考えるとロメロの『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(2008年)もほとんど同年の公開であるというところに、カメラ・アイに対する批評的な眼差しを感じはしないだろうか。

ダイアリー・オブ・ザ・デッド [DVD]

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  それを言い出すのであれば、「バイオハザード」シリーズもまた、よくよく考えると監視カメラの視点がかなり盛り込まれているわけであり、ホラー映画における複数の視座という観点でも考えることができるのではないか、と思わなくもない。

『キャビン』(2012年)も冗談めいた話ではあるものの、その設定上、監視カメラの、複数の視座というものが不可欠だった。多角的に恐怖を捉えようとしたところに、何か映像に対する不信感というか、(フィクション内における)「現実」への不信感のようなものがあるのではないか、と、とりあえずは述べておく。本作はおおむね彼氏の一人称カメラなのだが、それは劇中、当然に編集されている。