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Outside

Something is better than nothing.

SmartNews ATLAS Program 2「社会の子ども」vol.2

社会

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概要

 スマートニュースの実施する社会貢献プログラム「SmartNews ATLAS Program 2」の2回目のイベントに行ってきた。前回は映画『さとにきたらええやん』鑑賞会&トークショーということで、大阪の西成地区における子どもたちについてのものだった。

joek.hateblo.jp

  今回は「子どもに誰が・いつ・どう性を伝えるか」トークショーということで、実際に赴いてみたのだが、客層が少し変わった印象で、もっと実践的に子どもを持つ親が、どう子に性を伝えるか、と真剣に考えられている親御さんが多いように感じられる。前回同様、大学生らしき若い人たちの参加も多かったものの。

内容(トピックス)

 藤見里紗・坂爪真吾・紫原明子・松岡宗嗣(敬称略、以下同)の四人によるトークショーで、最初にイントロダクションとして柴原が子を持つ親として語ったあと、基調となる藤見による性教育の状況についての説明があり、その後、松岡による回しでトークショーになっていった。

 いくつか、とりとめもない形ではあるのだが、感想を記していきたい。

性はアイデンティティではなく、リテラシー

 性について扱うときにまず注意すべきは、それが個人の触れてはならない聖域として扱われてしまいがちであるというところで、ゆえに「性については教えるべきではない」という考えになりがちである。

 けれども、性というものは個人のアイデンティティとして捉えるのではなく、リテラシーとして捉えるべきではないか、という提言がまずあった。

「こうあるべき」「こうしなければならない」というわけではなく、個人が何らかの形で性と向き合うにあたって、「こういう方法もある」「こういう考えもある」という知識を与えるというスタンスだと理解した。私も全面的に同意する。

 性欲は本能であるがゆえに教育すべきではないというスタンスについては、食欲や睡眠欲はさまざまな作法の下で制限されているのだから、当然に本能は制限される、ということである。

コントロール可能なもの、不可能なもの

 欲望はコントロールできないものである。

 食欲・睡眠欲・性欲は人間がどういう意志を抱いていても、通常、湧き上がってくる。だが、それを「行動」に移すかどうかは、本人の意志によってコントロールできる

 お腹が空いたときには、水を飲むとか、あるいは我慢するなどできるし、眠いときには太ももをつねってみたり、目薬を差したりするように、性欲についても運動をしたり、あるいはマスターベーションを行うなど、解消の仕方はたくさんある。

 この言葉の裏には、もちろんレイプなどの一方的な性行為についての断罪が潜んでいることは間違いない。

中絶数

 中絶数は、(データの年数などを忘れてしまったのだが)20万人弱で、出産数は100万人ほど。だいたい1:5の割合で、中絶が起こっているとの指摘。

性教育について

 興味深かった箇所は、東京都の性教育について触れた箇所。

 石原都政の下では、性教育は基本的には弾圧されており、男性器や女性器を正式名称(例えばペニスや膣など)で呼ぶことができず、幼児語の「ちんちん」などで呼ぶようにされていたらしい。では幼児語で女性器をどう呼ぶのか。私もパッと思いつかなかったのだが、「おちょんちょん」という語が真面目に検討されていたそうである。

生殖の性と快楽の性

 かのように性教育については低調な状態がほとんどであるのだが、学教教育において「性教育」の名の下でかつて行われていたものは、基本的に女性は月経教育で、男性は射精についての知識はあまり与えられていなかった傾向にある。これは性のイメージを忍耐や我慢するもの、苦しいものとして教え、性の快楽についてはないものとされていたから、との説明があった。

性教育の時期

 具体的に「いつ」性教育を行えばいいのか、ということについては、「早ければ早いほどいい」という説明。子どもが性について興味を持つきっかけは、大人が思う「いやらしい性」というイメージではなく、単純に「知的好奇心」からである。

 一種の哲学でもある。「赤ちゃんはいったいどこから来るのか」という疑問を子どもが抱いているとき、彼らが思っているのはセックスについての文化的な側面ではなく、単純に科学的な疑問であるがゆえに、彼らの質問に対してはぐらかすようなことは止めた方がいい、との説明があった。

  具体的には下記の絵本の紹介があった。

おちんちんのえほん (からだとこころのえほん)

おちんちんのえほん (からだとこころのえほん)

 
誰が教えるのか

 これについては思春期に差しかかる前(9歳まで)は、両親のどちらでも、思春期以後は同性の親が教えた方が良いとの説明があった。異性の親は、子どもにとってもっとも身近な異性として認識されており、その異性の親から性教育を施されるのは子どもにとっては苦痛であるかもしれない。

 また、9歳以後の性教育については学校教育の中で行い、家庭教育は行わない方がいいということだった。

 ただし、例えば「セックスを行う前にはコンドームは絶対につけなさいよ」といったは有効的との見解があった。教員の指導よりも、より距離の近い親による掟の方が、いざというときに脳裏に蘇り、状況に流されにくい、とのこと。

質疑応答

 質疑応答の中でいちばん印象に残っていたのは、中学校で性教育を行っていると仰っていた女性教員で、その方曰く、

 中学生男子はTENGAのことしか考えてない、どうやったらTENGAを入手できるかだけに心を砕いている

 との状況説明があった。TENGAサイト上で性教育的なコンテンツがあった方がいいのでは、という提言も。

感想

 今回はやや実践的なきらいがあり、微妙に私の関心からはズレていたのだが、いくつかの話については興味深く拝聴した。

 明治日本におけるミソジニーを前提とした教育や文化等の政策がまずあり、その流れの中で保守的な空間が構築されていった結果としての現代があるという認識で私はいる。

 その中で例えばLGBTQの存在を学校教育の中で教える際に、どういう扱い方をしているのか、あるいはジェンダー、男らしさや女らしさ、あるいはそれ以外の性について、子どもたちにどういう説明をしているのか、するべきなのか、ということが案外なかったように思う(少し触れている箇所もあったが)

 性教育はどうしてもそれが教育であるがゆえに既存のジェンダーの枠組みにならざるをえないのかもしれない。コンドームをいったい誰がつけようと言うべきなのか。女性の自己防衛のために、まずそれはあるのかもしれないのだが、個人的にはその枠組みが男らしさと女らしさといった既存のジェンダーの中に囚われているような気がしてならないような思いを抱いている。

 松岡のセクシャリティがゲイということもあって、そういう多様な性志向の中での性教育のあり方についての方向があるのか期待していただけに、実践的になりすぎた今回のイベントにはやや不満があった。

 スライドでもそういう方向に行きそうな雰囲気はあったのだが、会場的にはすでに子を持つ親の参加が多かったためなのか、微妙にズレてしまった感もある。これは別にスマートニュースに非があるわけでも、参加者に非があるわけでもないのだけれども。

 とはいえ、いくつかの興味深い話を拝聴できたので、面白かったことは事実である。