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二股という言葉について

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 二股をかけるという言葉があるのだけれども、その語源を調べてみたが定かではない。現在使われている用法といえば、もっぱら男女交際に関連するもので、誰かと付き合っているのに、他の男女とも同時に付き合っているという状態になる。不倫とはまた違う状態になり、不倫の場合だと一方が、あるいは両方が婚姻関係をすでに結んでいる状態になる。

 私はこの二股という言葉の直接的な響きが好きで、以前から気に入っていた語彙だった。

 二股をかけるというのは、すでに股という言葉自体が二本脚を前提とした考え方であるのだし、その二本脚の付け根の部分を股というわけなのだから、一であり二でもある存在である。

 その単一でありながら複数である股は、さらに二を掛けられることによって、二股として四本脚となり、けれども登場人物は六本脚であるところが絶妙にこの言葉の妙技を伝える。

 二股の関係性は、ある種の三角関係だとも言え、二であり三であるということは、偶数でもあり奇数でもあるということにも繋がる。すべての起点である一であると同時に、偶数たる二奇数たる三を二股という語は表していることになる。また六本の脚は、最小の偶数と奇数とをかけた数である。

 二股をかけるということのどこか魅力的な響きは、同時にどこか後ろめたい気持ちをもたらすことになるのだが、これはこの言葉に潜む複数性に端を発していると言えないだろうか。一であり二であり三でもあるこの言葉は、あらゆる人々を巻き込む。