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Outside

Something is better than nothing.

恋愛の「文芸評論」

社会

Love

 恋愛について考えることが増えたのは、仕事を始めてから若い女性と一緒に飲むことが増えたからなのかもしれないわけで、学生時代はほとんどそうした経験もなく、そういった機会があったときはある種のマウンティングに明け暮れていたと思うし、性差別的な視点を持っていたことは否めないわけであるが、大人になったからといって、そういう要素を完全に排除できるわけもなく、そしてある意味で余計にその恋愛のゲームについて気にかかることが増えたのだった。

 そういった中で、例えばぱぷりこやトイアンナといった恋愛系のブロガー(またはオピニオンリーダー的な存在)の記事は面白く、その即物的な感じがいかにも現代風で楽しいわけであり、同時に一種の仕事論として読めなくもないわけなのだが、けれどもそれらの記事や書籍を読んでいくと、「面白い!」とか「楽しい!」とか「あるある!」といったもの以外に、どうにも引っかかる部分があるのも事実であった。

妖怪男ウォッチ

妖怪男ウォッチ

 

(ちなみにこの『妖怪男ウォッチ』は現代において読むべき本の一つに数えても差し支えはないと思う。非常に分析的かつ論理的に「恋愛」とそれに伴う類型について記述されており、私はここでターゲットにされている読者層ではないものの、非常に勉強になった) 

  この引っかかりは何なのだろうとずっと考え続けている。

 完全に言語化できたとは言えないのだが、おそらくは恋愛のシステマティックさに対する違和感だとは思うのだ。けれども彼女らには(そもそも信条的に相容れないので読んではいないのだが概要だけは何となく知っている)藤沢数希のまさにシステマティックな恋愛工学的なものへの批判も込められているであろう、とも思うのだった。あるいは男性優位の、と付け加えるべきなのかもしれないのだが。

 だから、これはあくまで個人的な信条の問題であり、ゆえに論理的な反駁というものではない。違和感、という言葉を使ったように、非常に感覚的な問題であると思うのだ。

 何となくこの恋愛について思うときに、私は横光利一の「御身」という小説の一節を思い出す。

「愛という曲者にとりつかれたが最後、実にみじめだ。何ぜかというと、われわれはその報酬を常に計算している。しかしそれを計算しなくてはいられないのだ。そして、何故計算しなくてはならないかという理由も解らずに、しかも計算せずにはいられない人間の不必要な奇妙な性質の中に、愛はがっしりと坐っている。帳場の番頭だ。そうではないか?」
横光利一「御身」、『日輪・春は馬車に乗って』所収、岩波文庫、62頁)

 どういう文脈だったか、今ではすっかり忘れてしまった。けれども、この引用では「愛」は「その報酬を常に計算」されるものとして認識しており、さらには「われわれ」は「計算しなくてはいられない」ものである。しかも、「理由」が分からないのである。

 だから、愛だの恋だのは、おそらくはシステマティックに考えようのないものであり、『妖怪男ウォッチ』の中で述べられていたものは、もちろん著者も承知の上ではあるのだが、ある一面的な価値観を基準にして記述された恋愛の一様態に過ぎない。

 理由が分からない以上、アプローチの方法は多様である。ゆえに、世の中にはさまざまな恋愛指南書が溢れ、占いが持てはやされ(しかし、占いは必ず当たってしまうものである)、感情の揺れが観測される。その立脚点たろうとして、さまざまな言説が生まれ、また文学も生まれた。

 だから、歴史的な観点は抜きにしても、現代的な感覚に照らせば、恋愛は文学的なものである。そこには作者と読者と批評家がおり、だから夏目漱石は恋愛を描き続けたのかと思わなくもないのだが、それは置くにしても、メディアの中で恋愛について触れたものは多い。

 しかし、そこには世界を分類するような、非常に簡潔な書き方しかない。けれども、世界という他者は常に自分を裏切る。恋愛は、相手がどういう反応を示すかまったく予期できないがゆえに恐ろしいくらいに他者性を持つものだが、そうであるがゆえに人間はそこに予見できる可能性を夢見る。

 けれども、相手はまったく理由の分からない他者である以上、システマティックな分析を行ったところで、そこには解釈不可能性が残るのである。小林秀雄が「様々なる意匠」で言うわけだが、

 ここで私はだらしの無い言葉が乙に構えているのに突き当たる、批評の普遍性、と。だが、古来如何なる芸術家が普遍性などという怪物を狙ったか? 彼等は例外なく個体を狙ったのである。あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語ろうと希ったのではない、ただ個々の真実を出来るだけ誠実に出来るだけ完全に語ろうと希っただけである。
小林秀雄「様々なる意匠」、『Xへの手紙・私小説論』所収、新潮文庫、117頁、太字は引用者)

(一夫多妻や一妻多夫等の複数人との恋愛関係を目指す者ではない人間にとって)例外なく個体を狙うべき恋愛において、普遍性を狙って語られた恋愛の批評がいったい何になろう、とも思うのであった。

 

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