GとL
トランプ次期大統領となってしまった現在において、政治状況等を考える上で、何かとっかかりはないだろうか、と思っていた矢先に、こういう記事が目に留まった。
この記事を少し要約する。
- 今回のトランプ勝利はL(ローカル)の世界に属する人々の反乱で、G(グローバル)の世界に属する人々よりも彼らは圧倒的多数である。
- 今や「右」や「左」は関係なく、そこを基準に現代の人々について考えると、動きを見誤る。
- 「移民」の9割はLの世界へ行くため、Lの世界に属する低所得者層と競合し、ストレス(摩擦)が生じる。
- GとLは経済的に対立せず、「グローカリゼーション」として共存可能。地産地消の動きが、かなり浸透している。また、グローバル企業でも、現地経営はローカル人材に任せている。
- インターネット革命はローカリゼーションを推し進める。日本にいながら、世界中の商材を取り扱うことが可能になり、グローバル人材の質的水準が跳ね上がるとともに、ローカル人材の質も押し上げられている。
- 2つ軸が重要。複数のドメイン言語を操れる(複数分野に渡った専門用語等を操ることのできる)マルチリンガルな人材と、数千人規模のローカル人材のマネジメント能力。
空気になったコンテンツ
実際、インターネット技術は個人的にはかなりローカリゼーションを推し進めているだろうと思われるし、そこで作られる数多のコンテンツはたしかに世界的なシェアなどとは別に、私たちの社会に広く浅く覆われている。
かつて、「コンテンツ」という言葉は「役に立つ内容」という意味をもっていた。しかしいまでは、「空気」のようなものだ。芸術、文学、映像、ジャーナリズムの代わりに、空気で満たされている。もはやそれが「何を語りかけるか」は重要ではない。大切なのは注目を集めることだけだ。
(前掲記事より、太字は引用者)
トランプの選挙時の広告は、暴言を吐くことによって半ば自動的に各種メディアが取り上げてくれるようになり、的確にLの世界へ浸透していった、ということが考えられる。
ポリティカル・コレクトネス(PC)を重視するがゆえに、反発として取り上げたはずのその暴言は、しかし「大切なのは注目を集めること」である「空気」としてのコンテンツの宿命から、PC的な是非よりもまず「暴言」そのものに注目が集まってしまうのかもしれない。
そしてそのコンテンツは、「空気」であるがゆえに、人々の間に広く浅く、そして薄く共有されることになる。
狭さ
個人的に思うのはネット環境の普遍化によって、グローバル化されるようになったわけではなく、ローカルな環境が今まで以上に見えるようになってきただけだろう。
元々ローカルな環境において存在していた人々が、ネットワークに接続することによってグローバル化したのではなく、ローカルな環境そのものがネットワーク上に存在しているわけで、そこは端的に垣根がなくなったというだけに過ぎない。
横へ伝播する力の強さが、「空気」としてのコンテンツが蔓延することによって、どこにでも存在可能になっただけだろう。これはたぶんPPAPで話題になったピコ太郎にも当てはまるのだろうと思うのだ。
【関連記事】