あるダンプ乗りの物語(下)
続き。
給料
彼は二週間ほど新しいおもちゃに夢中になっていただろうか、やがて正気に返った。そうせざるを得ない理由があった。
実を言えば、彼は前の会社で働いていた一ヶ月分の給料をまだ貰っていなかったのだった。さすがに無断欠勤をしているとなると、給料は貰えないのではなかろうかという不安が頭を過ぎった。けれども、運送会社は人の出入りが激しいこともあり、ばれないのではないかとも思われた。
恐る恐る給料のことを切り出すと、あっさり担当者は給料袋をよこした。
どうしたんだ?という一言すらなく、呆気なく給料の受け渡しは終わってしまった。
「いいのか?」
と、最後に念のために彼は聞いた。
「いったい、何の話だ?」
と担当者は言った。それで終わりだった。
その後、彼は正式に会社を移る手続きをし、トラック乗りからダンプ乗りへと華麗な転身を遂げたのだった。
上京と所有
ダンプ乗りとなって働く彼は、だんだんと地元を拠点にして働くことの非効率さに気づくようになっていた。
東京オリンピックの時代だった。需要はいくらでもあり、供給はいつも足りていなかった。
彼は上京を決意した。
幸いにも勤めていた会社に拠点があったので、その社宅で寝泊まりを行うことができ、衣食住の面で大きな問題はなかった。しかし、その頃、ある問題が彼を悩ませていた。
それはダンプを所有したいという欲望だった。この巨大な乗り物を、自分のものにできないかどうかと彼は悩んでいた。借り物ではなく、自分の乗り物として仕事をしたい。その誘惑は日ごとに増すばかりだった。
金銭面の問題は残っていた。お世辞にも裕福とはいえない生活を送っている彼にとって、ダンプを購入するための資金は相当な金額であった。
「どうしてもダンプが欲しいんだ」
堪えきれなくなって彼は同じ社宅で寝泊まりをする友人に、相談した。
「けど、金はどう工面するんだ?」
「いや、それは……」
彼もいくらかの貯金はあったのだが、さすがに新車のダンプを買うほどのお金はなかった。
「お前、金を貸してくれないか」
以前より、その友人は倹約家として知られており、相当な額の金銭を貯め込んでいるという噂すらあった。
「いや、お前に貸せる金は今ない。それ以外の方法を探すんだ」
「……じゃあ、ローンを組むとか」
「銀行でローンなんて手続きが面倒だろ」
友人はそう言って、寝っ転がった。
「ああ、そういえば」としばらくして友人は言った。「家業を継ぐからダンプを欲しい奴はいないかって、たしか同僚が言っていたな……」
それを聞いて、彼はすぐに行動を起こした。
同僚はすでに会社を辞める手続きを行い、あと三日後に実家に帰ることになっていた。どうにか金の工面をするから、購入させてくれと彼は懇願した。今は一括で購入できないが、月賦で払わせてくれないか、と。
同僚は地元での軍資金にするため、すぐにでも現金が欲しかったらしく、月賦払いは認められなかった。困った彼は友人にふたたび相談した。
「そこまで言うなら、銀行に行ってみよう」
翌日、彼らは銀行の窓口にいた。金融知識のない彼は、友人に話を聞いてもらっていた。友人は行員の話すことを聞いていた。けれども、しばらくして友人は彼の耳元でこう言った。
「ダメだ。やはり銀行は面倒臭い」
面食らった彼は、
「じゃあ、どうしたらいいんだ」
と言う。
「俺の金を貸す。それで買え」
先日までは金はないと言っていたのに、と彼は一瞬は思ったが、ありがたく友人に金を借り、同僚のダンプを購入することができた。
時はオリンピックに湧く東京。
借りた金を返すべく、馬車馬のように彼はそのダンプに乗って金を稼いだ。初めこそ途方もない金額のように思われた彼の借金は、有り余る仕事によって一気に返済することができたのだった。
時間の終わり
面会時間も終わりに近づいてきた。
いつの間にかお昼の時間になっており、配膳が始まった。プレートが祖父にまで配られると、祖父は彼自身の物語を語るのを止めた。そうするのが自然なように。
祖父は昼食を食べ始めた。私たちも持参したお弁当を食べ始める。
祖父は動かしづらそうに箸を持って、たどたどしくご飯を口に運んでいった。
ふと祖父の指を見ると、かつてダンプを乗り回していたであろう指の、がっしりとした逞しさに気づいた。この手やこの指によってハンドルを握り、東京や日本中をあの巨大な車体を走り回らせていたのだ。
節くれ立った指に、祖父自身の物語が秘められているようだった。そんな祖父の物語の続きを、子供のようにせがんで聞きたかったのだけれども、いつの間にか面会時間は終わりを告げていた。
受付のときに配られた面会シートに記入し、帰り支度を進めていく。
少し寂しそうな祖父だったが、けれども表情はどこかさっぱりとしていて、ハキハキとしている。こちらの方が多く貰いすぎてはいないだろうか、というくらいにお土産をたくさんいただいた。
何度もありがとうとさようならを繰り返して、私たちは介護施設を後にする。