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Something is better than nothing.

才能にまつわる病

Left

 『SNSポリス』をどこかの記事で読んで爆笑してからというもの、「かっぴー」という名前を記憶していて、『左ききのエレン』という作品を描いていることも知っていた。

SNSポリスのSNS入門

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  けれども、なんとなく読むのが億劫だったし、そもそも有料なのかもしれないという思いもありつつ(調べる余裕もなかった)、たまたまKindle unlimitedに入っていたので読んだのだった。

左ききのエレン(1): 横浜のバスキア

左ききのエレン(1): 横浜のバスキア

 

  どう言いつくろっても、絵はうまいとは言いがたい。『進撃の巨人』より下手であるけれども、舞城王太郎のイラスト的な親しみは湧く。

cakes.mu

 ストーリーはかなり読ませる内容で、「才能」を巡る話である。

 このエレンは圧倒的な才能を持ちながら、ある種の社会不適合者で、「天才」というステレオタイプを生きている。対して朝倉光一は凡才ながらも努力でエレンに追いつこうとしており、今はサラリーマン。デザイナーとして働いている。

 ここで繰り返し出てくるのは才能についての問いで、天才や才能という、ないようであるし、あるようでないものを扱っていて、その様がかなり青春っぽく熱いのだった。才能というものは掴みようのないものなので、光一は今のところ(4巻現在)かなり病んでいるのだけれども、この自意識というものはとてもよく分かってしまうのだった。

 誰しも自分の才能を過剰評価する時期、というものはあるのだろう。ただこの過剰さは後々になって思うから過剰に映るだけで、最中の熱狂ではさほど過剰とも思われない向きがあると思う。

左ききのエレン』の中でもあったかもしれないが、結局のところ続けることの難しさが才能に著しい影響を与えるわけで、それはモチベーションもそうだし、経済的な理由もそうだし、身体的な理由もあるだろう。文化資本の如何によって、変化する可能性もあるわけである。

 イギリスにおける俳優の出自は、以前まではワーキング・クラスから言わば成り上がって俳優になる者も多かったが、最近では富裕層出身がほとんどであるという。

bylines.news.yahoo.co.jp

伝統的に英国を代表する俳優といえば、チャールズ・チャップリンショーン・コネリーマイケル・ケインなどのワーキング・クラス出身の俳優だった。「労働者階級の子供が成功しようと思ったら、芸能界に入るかサッカー選手になるしかない」と言われた時代もあったのである。ところが階級間の流動性がなくなった21世紀の英国では、こうした業界も裕福な家庭の子供に独占されている。子供を演劇学校やサッカー・アカデミーに通わせる資本が親になければ、才能のある子ですら階級を上って行けなくなったのだ。
(前掲記事より引用、太字は引用者)

 だから、才能にまつわる病を抱えている人にとっては、安心すべきものなのかもしれない。才能というものは、たしかにそれぞれにあるのだろうが、ただそれは芽が出なかっただけなのだ、と。

 芽が出ない以上、我々はこれから深く深く地下に潜っていかなければならない――ということなのかもしれない。