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Outside

Something is better than nothing.

「あなた」の不安

社会

Untitled

 2016年10月23日に起こった宇都宮での事件では、72歳の元自衛官の男性が自殺を図り、その結果男性は死亡、通行人3名が怪我を負った。

 正直なところ、私の関心はニュースアプリで記事を見かけたくらいで、詳細について調べようとは思っていなかった。平凡な破壊とそれに伴う不安、不安によって引き起こされるセキュリティ強化の可能性を想起したくらいで、それ以上何か考えるということはなかった。

 しかしながら、『極東ブログ』の「これこそテロなんだと思った」という記事を読んでいると、興味がなかったはずのこの事件について興味を抱く箇所があった。具体的には、記事中のある箇所で私は強い衝撃を受けた。

 彼はなぜ爆破自決をしたのだろうか。そうしないと、世間の人が彼にとって重大な問題に目を向けないからである。彼は自身の正義を主張したかったのである。冤罪だとも言っていた。現代のヨブのひとりである。
 そうだろうか? 彼は怒っていたのだ。それは彼のブログにくだくだと書かれた裁判関係への人々への怒りから始まったものだろうが、その後、彼の怒りは、その正義を受け取らない人々に向けられていた。
 その「彼の怒りと正義を受け取らない人々」とは、私であり、あなたである。彼は、殺傷能力のある道具でその正義を私たちに向けたのである。
 これこそがテロなんだと思った。

これこそがテロなんだと思った: 極東ブログ)[太字は引用者]

 そこで試されたのは、相対化された「正義」である。だからこそ、私たちはここで起きた平凡な破壊を大抵は白けたムードに包まれた傍観者としての視線でしか迎え入れない。ここで言われた「正義」は、私たちにとって不当なものだからである。

 けれども私は先の記事の「あなた」という箇所に、かなりやられてしまったのだった。私たちではなく、私自身――「彼の怒りと正義を受け取らない人々」のひとりとしての私自身が「彼の怒りと正義」に相対しているのだと。

 私はこの事件をあくまで社会に住むひとりの人間――「私たち」として無意識に形作る市民性とでも言おうか――として考えていた。だからこそ、これはあくまで平凡な破壊として処理してしまったとさえ言っていい。

 だが彼は、文中で言うところの「あなた」に「彼の怒りと正義」を向けてきたのだった。記事として文章化され、情報として処理される無味乾燥な文字の中に。私たちの意識ではすぐさま処理されてしまうニュースの中に。他ならぬ私個人に対する問いかけを行ってきたのだった。

 だからといって彼の「正義」が正当化されるわけではない、ということは重々承知の上で、それでもなお何かが心の中にわだかまったのである。まったく共感できないし、複数の視点から見ると事件の様相も思っていたものとは異なっているだろうが、この「彼の怒りと正義を受け取らない人々」を「殺傷能力のある道具でその正義を私たちに向けた」ということが、「あなた」という二人称によって妙に気味が悪いものとして残るのである。

 これは坂口安吾が言うところの「偉大な破壊」というわけではない、平凡な破壊としか言いようのないものなのだが、宗教上であったり政治上といった理由ではない(それらで表層が覆われているというわけでもなさそうな)、あくまで個人的な動機を元に行われたであろうこの事件が、まさに平凡な破壊だったからこそ私の中に不安を呼び込んだ、ということなのかもしれない。

joek.hateblo.jp