Outside

Something is better than nothing.

一進一退の日々

 この4月に人生初の異動を経験することとなった。
 人生初の異動だったが、直前までの予測は異動しない、あるいは異動しても仕事内容についてはさほど変わらずというものだったので、気になることはただ人間関係の不安だけだった。しかしいざ内命が出ると、場所は現場から離れて、違う仕事、それも出向も伴うというものだった。一気に不安が高まった。兼務という形での内命を受けたことはあったものの、それは自身の実力をそのまま適用することができる現場だった。まったく環境が変わることは今回が初めてである。人生とは――と大げさな身振りを伴って発せられる紋切型のを、しかしどうしても口当たりのよさからつい呟いてしまうのだけれども――どこに向かうわけでもなく動き続ける。
 
 BRON-Kというアーティストの「何ひとつうしなわず」という曲が好きで、たまに聴いているのだけれども、その中にこういった歌詞がある。
 
この世界が生む価値なんて、ただのゴミかも知れず
なにかを捨ててまで、得ることを、空しいと思う
 
 何かを得ることに対する後ろめたさのようなものは、後ろめたさというよりも不安というものなのかもしれないその得ることのつきまとう違和感は喪失と結びついて想起されがちで、例えばここで述べられるタイトルから感じられる喪失の雰囲気と、それを補う「なにかを捨ててまで」という言葉は、得るための犠牲としての本来あったかもしれないもの――しかし本来そんなものが私(たち)にあったのだろうか?――を思い出させる。異動の内命を受けて感じられた不安は、与えられた確かなステップアップに対する喪失であり、それは寂寞ということなのかもしれないのだけれども、しかしよくよく考えると、私は「なにかを捨てて」はおらず、あるいは得てもいないのかもしれないのだった。
「この世界が生む価値」は、たしかに「ただのゴミかも知れ」ないことは私も実感として感じられ、それは自分自身にも当てはまってしまうことであるから余計にどうしようもないので、あらかじめ失われているために「何ひとつうしなわず」にいるのかもしれない――しかし、いったい何が失われたというのだろう?
 かくのごとく袋小路に入り込んでしまったまま新しい仕事が始まり、仕事は今までの経験がまったくとは言わないにせよほとんど活かされない環境であるために日々戸惑いを隠せない上に、拘束時間が長いこともあって疲労が蓄積されていくばかりである。自分の仕事というものはいったい何なのだろうか、という疑問が頭をもたげる。特に何も生産的なことができないままただ一日を拘束されて、職場と家の往復を行っているだけではないか、と思うのだった。しかし、「この世界が生む価値なんて、ただのゴミかも知れ」ないのだから、そして元々自分はそう思っていたではないか、という気持ちもあり、つまりこれは性急な考えであると同時に現実との向き合い方ではあるわけで、決して一面ではない多様な世界を断定的に切り取ったときに見える一つの真実ではあったのだ。むろん、世界は私が削り取れるほど小さくはない。
 
 宇多田ヒカルの久々の新曲「花束を君に」の中には、このような一節がある。
 
 どんな言葉を並べても
 真実にはならないから
 
 ある種の真実は嘘でしか語れないと私の好きな作家は述べていたが、たしかにフィクションの言葉の数々は、世界をなんとか削り取ろうとさまざまな方法をもって対峙する。真実とはいったい何なのだろうとも私は思うことにもなるのだけれども……。
 このように思考にせよ自分の人生にせよ年齢を重ねるにつれて深まるということはなく一進一退を続けることになるのだけれども、ほとんど何かが変わることなく、人生とはどこに向かうわけでもなくただ動き続けている。私の「不安」はおそらくは繰り返されることになるだろうし、それは誰しも同じことだろう。先に進めたかと思いきや、同様の問題に足を絡め取られる。
 しかし「どんな言葉を並べても」「真実にはならないから」、ここでうだうだ言っていても致し方ない部分はやはりあるのだ。私自身の書き連ねた言葉が真実ではないということについてあらかじめ了解した上でこれらは書かれているのだし、自身の「本音」として書かれる・話される言葉の嘘らしさは、まるでカフカの「ことばに出すということは、基本的に確信の弱体化を意味するものではない――そのことなら嘆くにも及ばないだろう――そうではなくて、それは確信が弱体であることを意味している。」(『夢・アフォリズム・詩』吉田仙太郎編訳、平凡社ライブラリー、P.101)といった言葉を思い出しはしないだろうか。だから、というわけでもないが、宇多田ヒカルは「涙色の花束」を贈ることになるわけで、それは私が涙色をした花束よりもあやふやな、人間のある一定の時間を言い表した人生の行き先について思い悩むよりもたしかな尤もらしさを持ち合わせてはいないだろうか。

 

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