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Outside

Something is better than nothing.

名付けられた親指

生活
 進行性指掌角皮症、という。しんこうせいししょうかくひしょう、と読む。
 まったく聞いたことがない上に、私は単なる手荒れの延長で考えていた親指の死から、皮膚科で名付けられた親指の名称は、かくのごときものだった。処方された尿素が多めのクリームを塗りたくって眠った翌日には、親指はかつての潤いを思わせるような皮膚感覚を取り戻し、しかし指紋は回復しないまま今に至っているのだった。
 先生に言わせると、これは職業病であるらしい。日常的に紙幣や紙を扱う人は、よくこういった症状になるらしい。もちろん単なる親指の死である以上、致命的なものではなく、単に指紋が消失するだけのものになるのだけれども、失われた私の指紋が意味することは掴むことの不可能性を私に思い出させるのだった。
 掴む。
 荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』の第六部「ストーンオーシャン」は、週刊少年ジャンプを読み始めたときに連載していたジョジョであり、ストーリーを第一話から読むことなく途中から読んでいたためになんだかよく分からないおどろおどろしい漫画だなあと、それまでの漫画っぽさとは違う絵柄や感性に違和感を覚えつつも惹きつけられていたのだけれども、その最終局面では摩擦がなくなるという展開があり、当時はああそういうものかと思って読んでいたのだけれども、実際に指紋という物体に対して摩擦を用いて掴むための襞がなくなると、つるっと何もかもソリッドな物体が掴めなくなる。柔らかいものや、引っかかりが物体の方にあるものは掴めるのだけれども、そういったもののないものはあれよあれよという間に滑り落ちてしまう。掴み損ねることの多い人生かもしれないが、何も物理的にそうしなくてもよいではないかと思わなくもない。
 親指に限らず他の指にも試してみたところ、尿素がよほど効くのかどんどん指の状態はよくなっていった。使用以前は進行性指掌角皮症はほとんどの指に広がっていたのだが、今では右手親指のみに残っている。もっとも使用頻度の高い右手の親指だけが、今でも何かを掴むのにもっとも苦労する部位であり、肌のカサカサした感じは治ってはいない。しかし、親指の死について書いている暇があるのならば、さっさと皮膚科の先生に診てもらうべきだったと今では後悔している。