Outside

Something is better than nothing.

食べることの複雑さ

 何かを食べること自体は食うや食わずの生活を送ることを強いられる経済的な環境をともかくとすれば、ほとんどの人にとって普通に行えることではあるのだが、各人にとっての個人的な食事ならいざ知らず、多くの人々を食べさせようとすることはより多くの困難を伴うことになる。私たちはイエスが5つのパンと2匹の魚で5000人もの人々を満たしたようにはいかず、多くの食材を用いて多くの人を満たさなければならないのだが、現代においてはアレルギーの問題などのさまざまな食にまつわる背景があり、「口にはいるものは人を汚すことはない」(「マタイによる福音書」15:11)ということにはなりそうにない。口に入ることによって人を意図せざる深刻な事態に陥らせてしまうことにもなりかねない。

 愛媛県松山市で起こった事態も、その汚される恐れを敏感に察知した事例に該当するだろう。「ソバの実8粒混入で4500食廃棄 愛媛」(毎日新聞)によると、2月18日にこのような出来事が起こったようである。

 松山市の桑原学校給食共同調理場(畑寺町)で18日調理されたポークビーンズ約4500食が「食物アレルギーの原因となるソバの実が混入した可能性を排除できない」として廃棄され、道後小など7小中学校の児童・生徒は主菜抜きの給食となった。市教委保健体育課によると、異物混入の可能性により給食の一部を提供しなかったのは初めてという。
http://mainichi.jp/articles/20160221/k00/00m/040/014000c

 たった8粒のソバの実が、4500食、単純に考えれば4500人分の口に入るはずだったものを駄目にしてしまったということになるのだが、もし仮にそのまま給食が配膳されていたとしたら、「札幌市では1988年、小6男児がそばを食べてアレルギー反応を起こし、帰宅途中に嘔吐(おうと)物を詰まらせて死亡した例がある」ように、児童の死者が出ていた恐れがある。これを先進国の贅沢だと非難することも可能であるが、事前にそういった可能性を取り除くことができた市教委側の適切な判断だったと評価することもできる。私としては後者を採りたい。
 しかしこの廃棄された4500食のポークビーンズがいったいどこへ行ったのかということについては触れられておらず、記事にあるように「廃棄」、すなわち捨てられたと考えると、口に入るために作られたそれらは目的を果たすことなくゴミとなったと想像することが適切なのだろうが、同時にその捨てられた食材というものの奇妙さに思いを馳せてしまう。思い返せば日本にはその日の食事もままならない家庭がありそれは増加傾向にあるのだが、彼らは食べることを欲しているにもかかわらずそれが手に入らない。捨てられた食材の奇妙さはそれらが食べられないがゆえに捨てられたわけではなく、食べられるけれども公共性を伴う食事(給食)としての適切な水準を下回ってしまったために「食べられないもの」として扱われるようになったということで、食料を欲する人間としての基準は充分に満たしているのである。ここでは実際の行く末の是非はともかくとして、こういった非対称性がどこにでもありふれているということについての奇妙さを述べたいわけなのだが、そこで思い出すのは2月5日にフランスのスーパーにおける食料廃棄が原則禁止されたということであった。「フランス、スーパーでの食料廃棄を法律で禁止」という記事の中で、以下のように「食べられないもの」として扱われていた食料の行方が述べられている。

廃棄されるはずだった食品はフードバンク(品質に問題がない食品を生活困窮者などに配給するシステム)などの援助機関に回され、必要とする人々に配られる。これによって、毎年数百万人に無料の食事を提供できるようになるという。
http://www.huffingtonpost.jp/yuki-murohashi/france-supermarket_b_9183992.html

 日本の現状は以下のように述べられている。

一方、日本では年間約1700万トンの食料が廃棄されており、そのうち「食品ロス」は年間約500万〜800万トンにものぼる(平成22年度農林水産省調べ)。この年間約500万〜800万トンという量は、世界全体の食料援助量の約2倍で、日本のコメ収穫量約850万トン(2012年度)とほぼ同じである。また、一般家庭で廃棄される量(食品ロス)は200万〜400万トンで、約半数を占める。
日本は米国、フランスに次ぐ世界有数の食料廃棄国である(調査機関によって多少前後するが農林水産省の調べによると)。こうした現状に対し、日本でもフードバンクや形の悪い食材を安く提供する取り組みも行われているが、フードバンクの知名度は低く(2009年のアンケート調査だと7割以上が「知らなかった」)、今後さらなる政府による啓蒙や今回のような法律制定、個人の取り組みが期待される。

(前掲記事)

 日本におけるフードバンクの活動は以前に調べた限りだと、まず食卓にもう一品をという形で導入され、今ではフードバンクからの支援のみが食卓における食事であるといった家庭も存在しているくらいであるのだが、ここで述べられていることを信じるならば、そういった家庭を充分に賄いきれる量の食料が「食べられないもの」として捨てられていることになる。それは日本人の衛生観念の高さゆえにそうなのかもしれないが、廃棄カツ流用問題が明るみになったときに、その廃棄そのものの正当性が問われるといった法律が施行されるフランスに対して興味が湧いたのであった(当該事件における問題点は企業間取引におけるコンプライアンスでもあるということは重々承知であるものの)。