落ちる油
「マジか」
と私は呟いた。先週のことである。今まで労力をかけていたはずのものが、嘘のようにすっきりと終えることができている。私は自分でも驚くくらい、この変化に対して衝撃を受けていた。もしかすると、私が知らないだけで、世の中の多くの人も同様の感想を抱いているのかもしれない……。
かつて私は、世の中に皿洗いというものが存在する限り、ある種の希望が存在するのではないか、と考えたことがある。実際に詩にも書いたことがあった。疲れ果てて家に帰ってきて食事をとる。すると必然的に生まれてくるのは、汚れた食器たちだ。彼らは流しの中で、洗われる瞬間をひたすら待っている。疲れ果てた今日が駄目なら、明日。明日が駄目なら明後日、明後日が駄目なら……と。
しかし、そこは生活の場である。いつまでも不衛生な状態にしておくわけにはいかない。かくして、明日に回そうとしていた仕事を、疲れ果てた「私」が終わらせていく。どんなに疲れていても 汚れた皿があれば洗う、それはささやかな希望にはならないだろうか?
なる人とならない人とにもちろん分かれるはずであり、そもそも皿洗いにそのような問いを内在させている人はまずいないだろう。たかが皿洗いであるのだ。
しかし、先日発売されたCHARMY Magica*1は、私のこのささやかな「希望」を、少しはたしかなものにしてくれた。
スポンジに洗剤を垂らす。泡立つごとに膨らんでいく泡、今か今かと待ち構える汚れきった皿、そして皿に居座ろうとする油。役者たちが揃い、私はゆっくりとスポンジでお皿を撫でていく……。
「マジか」
いや、決してそういうつもりで呟いたつもりはなかった。しかし、呟いてからはどこかもう空々しくなってしまうのも事実だった。ただ一つはっきりしていることは、言葉よりも目の前に起こっている事態の確実さなのだった。
そう、皿の上に油はなかった。油はすっきりと落ちきっていたのだ。
今までは何度かゴシゴシとこする必要があったものの、この洗剤を使ってからというもの、しつこいと世間一般で言われるところの油汚れに対しても、てきめんの効果を発揮し、もちろん仕事終わりで疲れ切っている状態で行う洗い物に楽しい要素なんてまるでなかったはずなのに、なかったはずなのに、私はどこか楽しんでいるのだった。何はともあれ、目の前の事態の確実さだけは、疑いようのないものだったからだ。
油が、落ちていく。
魔法などでは決してありえない事実が、しかし魔法のように感じられる。いやそもそも、魔法とはかくのごときものだったかもしれない。高度に発達した技術は、何とやら。
*1:一例として、CHARMY Magica(チャーミーマジカ) スプラッシュオレンジの香り 本体 230mLを挙げておく。