Outside

Something is better than nothing.

タイのマンゴー

 今年の四月から、私の両親がタイに行っている。いや、これは人に話すとまず「なんで?」という疑問符が浮かぶ代物であり、私も同様に思うのだ。タイだよ、タイ。なして?と。私とてこの状況に甘んじていたわけではない。正直なところ、両親がタイに行くなどと聞いたときは、一体全体どうしようかと思ったし、ちょっとくらいは反対する気持ちもあったのである。

 ただ、その話は本題ではない。本題ではないことをくどくどしく述べる必要もなかろう。とにかく今、私の両親はタイにいる。

 さて、少し前に、タイの両親からマンゴーが送られてきた。それは私の妻が知り合いに配るために頼んだものであったが、少しばかり余ったために我が家の食卓に供されることになった。ここ最近、体調を崩し気味であった妻は、この日、マンゴーを食卓に並べた。タッパーの中に入った、いくつものマンゴーの切れ端。実を言うと、マンゴーという食べ物について、あるいは果物についての印象は乏しい。現代人らしく加工品としての「マンゴー」ならば知っているが、実際のマンゴーとなると、食べた記憶が一度くらいあるのみで、はっきりと覚えているものではなかった。

 妻が切る前に、実物を見ている。黄色くて、思いのほか大きかった。手にしっくりくる感じであろうか。梶井基次郎ならば、丸善にでも置きそうな代物である。一口に言って、実に心地の良い果実であった。

 もとより私はマンゴーを好かない。それは「マンゴー」であって、実際のマンゴーではなかったのだけれども……。

 それでは一口、と口に運んでみた。妻が冷蔵庫に入れてくれていたお陰で、ひんやりとした空気が漂ってくる。

「!?」

 びっくりした。何がびっくりしたかというと、舌の上で溶けていくのだ。そして、マンゴーの芳醇な香りが口の中に広がっていき、心地よい酸味ととろける甘みとを伝えていく。不思議だ。実に不思議だ。シルクとでも言おうか、独特の味わいが口の中に広がって止まない。飲み込むことも容易く、一瞬にして至福の時は過ぎ去っていく。

「うまい……」

 呻くように言っていた。初めて私はマンゴーに出会ったのである。一切れ、二切れ、私は急かされるようにマンゴーを食べていった。いつの間にか食卓からはマンゴーの姿は消えていた。私と妻とで貪るように食べたからだった。

「美味しかった……」

 と、一瞬の快楽を存分に堪能し合った二人が、嘆息する。タイのマンゴーとは、かくのごとき至福の果物なのである。