Outside

Something is better than nothing.

社会

そもそも新しいものではない——こどもの視展について

もうすでに終わった展示会について語るべきことはないのかもしれないのだが、なんとなく心に留めているものがあったので、先日行った伊藤忠商事のITOCHU SDGs STUDIO主催する「こども視点での体験を通して、こどもとの暮らしや社会の在り方について考える体…

葬送の繊細な感覚

エリザベス女王が亡くなったとき、私は英国のモナキストではないので、ブレイディみかこ経由で知ったジュリー・バーチルのある少数グループに生まれつくことは云々といった言葉を思い返していたのだったが、同時にNHKのニュースやネットニュースの写真などで…

夏の感慨

東京五輪は終わりを告げたことになったが、新型コロナウイルスの惨禍は続き、台風もやってくるところで、我々はもはやこの国は生存に適した場所ではなかったのかもしれない、と思うのは、例えば人口の半分を占めるはずの女性は、たかだか幸せそうにしている…

開会式のこと

昨日、2021年7月23日(金)に東京五輪の開会式が行われた。この日は例年「スポーツの日」として10月の第2月曜日に設定されている祝日が、オリンピックの開会式に合わせ、海の日とともに移動した祝日で、変則的になる。ただしこれは昨年度も同様で、新型コロ…

怒りの矛先

何度も書いてしまっているので言わば芸がないのだが、何度でも語るべき金井美恵子の『〈3.11〉はどう語られたか: 目白雑録 小さいもの、大きいこと (914) (平凡社ライブラリー か 38-2)』の末尾近くになって、ある作家の記述が引用されていた記憶があるのだ…

礼と規範

これは特に学術的な根拠がある話ではないのだが、孔子の「礼」について考えているとき、なぜこの「礼」という概念が春秋戦国時代という動乱の時期にあって生まれたのか、ということを孔子の専門家でもないのに考えていたことがあり、別に孔子について詳しい…

多寡の誘起

新型コロナウイルスの感染拡大が続き、いわゆる第三波が猛威を奮っている中、毎日「過去最多」ないしそれに類似した言葉が飛び交うようになって久しい。私はというと、仕事上エッセンシャルなワークでもないけれども、単に設備上の不足という物質的な理由に…

月を指して指を認む

読書猿の『独学大全』(ダイヤモンド社)をようやく読み終わることができたのだが、その中に長年、きちんと正しい言葉を知らないまま使っていた言葉があってそれがタイトルにもある「月を指して指を認む」というものなのだが、説明を前掲書から引用すると、 …

ジョージ・フロイド事件と音楽

新型コロナウイルスに関連し、アフター・コロナだとかウィズ・コロナだとかいったお題目(ここに「新しい生活様式」が絡んでくると、それはそれで七面倒臭いのは事実であるのだが)に対して、あくまで仕事の上で対応を進めていっているのだが、それがもうと…

異常時といくつかの断片

新型コロナウイルスに係る各種の対応で疲れ果てている中ではあるものの、私の仕事が緊急事態宣言を受けての自粛要請のあった業種ではないがゆえに、延々と働き続け、四月という平常時であっても異常なくらい忙しい時期であるにもかかわらず、異常時にあって…

ラグビーと台風の逆説

別段という言い方が正しいのか正しくないのか分からないのだが、私はこの年になるまでさほどスポーツというスポーツに(観戦者として)熱狂した経験はなく、例えば私は広島県民ではあったものの、広島というアイデンティティに相応しいカープファンとしては…

ある区切りの中で

ある区切りが訪れることについて、私個人としてはさほどの興味を払っていなかったのだが、さすがに十連休ともなると世間も暇なのかどうなのか、柄にもなく「新元号」とその時代の訪れまたは前時代の終焉を言祝ぐことになるので、ややもすると辟易するのだが…

頭頂部の景色

特に意識したことはなかったのだが、人の頭頂部を見るときに、ふと彼か彼女かを前面から見るときと異なった印象を持つ、ということに気づいた。すべてが当てはまるわけではないし、好きこのんで他人の頭頂部を見るということはないのだけれども、ときおり電…

12月の振り返り(Stairway 12)

情報の取得とその整理について、何か明瞭な方針や確定的な方法論があるというわけではなく、最終的に自分自身のライフスタイルに合致したものを見つけていくしかないのだ、ということになるのだが、それを今年はさらにアウトプットしていくのだ、というとこ…

11月の振り返り(Stairway 11)

いろいろと新しいことや、以前から温めていたが着手できなかったことが眼前に迫ることになってきたものの、かといってそういった物事について、どうすることもできないまま、ただ濁流に呑み込まれるようにして今に至るというような案配であるのだが、そうい…

10月の振り返り(Stairway 10)

早いものでもう11月になろうとしている――と書こうとして、これはあくまで定型文なので、ほとんど何も考えずに打ち込んでいこうとしたのだが、しかし季節の巡りというものは常に早いものであるような気がしていて、それは単に時間の流れがそういうものなのか…

9月の振り返り(Stairway 9)

きわめて個人的なことであるが、先般、記したとおり9月という月には何か呪われたものがあるとしか思えない、そういった気分の落ち込みがあるので、この月において酒量は増え、特に理由もなくペソアを読み返しては、世界というのは無神経な連中のものなのだと…

8月の振り返り(Stairway 8)

8月はとにかく天災が多かった。私の方はと言えば、異動につぐ異動によって、自分がいったい何をやっているのか分からなくなってしまった現在ではあるのだが、仕事自体は山積しており、非効率的な部分が多く、ほとんどゼロベースで(無駄なデータの蓄積のみあ…

7月の振り返り(Stairway 7)

7月の振り返りということで、とりもなおさず言うべきことは連日の酷暑だろう。7月の平均気温は28.3℃ということで、高温が続いた。さらに言えば、西日本を襲った連日の雨による災害が月の前半にあり、後半は高温による熱中症が取り沙汰された。 www.nikkei.co…

6月の振り返り(Stairway 6)

ほとんど非活動的かつ非生産的な日々を送るような気がしてならない。それはうだるような暑さの訪れを前にして、もう何もやりたいことなどないし、そもそもやりたいようなことなど人間の本質としてないのではないか、ということを思ったり思わなかったりする…

5月の振り返り(Stairway 5)

個人的なことから始めるが、5月は仕事が忙しく、体調も悪いという月だった。さらに運気も悪いといった案配で、五月病というのはこういうものなのかと思いつつも、5月期のニュースを振り返ってみても、いいものはないような印象が残ってしまった。 先月から続…

4月の振り返り(Stairway 4)

新しい年度が始まった。例によって年度末から異動や経営計画に基づき、新たな体制となることで忙しい時期である。そして政治状況については先月から引き続き、正統性を揺らがせる出来事が相次ぎ、また世界的な潮流でもある#me too的な、セクハラによる告発も…

三月の振り返り(Stairway 3)

年度という時間的な区切りを設ける限りにおいて、三月という月は年度末に該当し、そのひと月というのは企業活動に従事する者であれば、おおよそ一年の中でもっとも忙しい月の一つに該当するかもしれないのだが、私もまた多分に漏れず、その繁忙の最中にあっ…

二月の振り返り(Stairway 2)

先月とは異なり、二月という月は一年で最も短いものではあるのだけれども、なぜだか長く感じてしまったのは体調の変化があったのかもしれない。寒さは強まっていたし、実際雪も降ったものの、同時に春の訪れを感じる瞬間というものも増えた。 春の兆しをどれ…

一月の振り返り(Stairway 1)

早いもので一月も終わってしまい、二月という新たな季節がやってくることとなった。私の年末年始はと言えば、一月二日に人生で二度目の、眠り以外による意識の喪失が訪れ、死ぬかもしれない、ということを俄に感じる始まりだった。 とはいえ、それ以後は状況…

上下運動を思い出す

ユリイカ 以前にポーの『ユリイカ』を読んだときに上昇と下降の二つの様式について触れた箇所があり、その実際の読みについて私の解釈が妥当なのかどうかはさておき、面白い着眼点だと思ったのを覚えている。ポーの「大鴉」を、ポー自身が述べたように作られ…

延期という言語

そういえばこの言葉を聞いたのは高校時代の体育祭のことで、リーダー的な奴がどういうわけか「Postpone、延期する」と連呼していて、頭の中にこの言葉がこびりついて離れなかった。 当時の私は例によって馬鹿な高校生のひとりで、要するに英単語なんて何一つ…

正しさの判定と表面化されたバイアス

機械的な正しさの判定というものはまだまだ難しいのだろうが、正しさの判定をするための情報については、アルゴリズムを使うことによって人々の選択の幅を調整可能にすることが可能になっているようだ、というのがこれから書きたいことではあるのだが、私は…

流言蜚語、デマゴギー、ポスト・トゥルース

考えながら書いていったことを個人的なメモとして、以下に記す。また、以下に記すことは個人的な整理の範疇にあるため、学術的な定義等に関連するものではないことをあらかじめ記しておく。 流言蜚語やデマゴギーとポスト・トゥルースがどう違うのか、という…

おごる・おごられるという関係について

きっかけ 非常に個人的な経験談について記していきたいのだが、ひとまずきっかけとなった物事について触れておく。 www.buzzfeed.com この記事から、経緯についての要点をまとめると、下記の通りになる。 2011年8月に福島県から横浜市に小学校2年生の男子児…